よもすがら

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    渡殿に寝たる夜、戸をたたく人ありと聞けど、恐しさに音もせで明かしたるつとめて

75 夜もすがら くひなよりけに なくなくぞ 真木の戸口に たたきわびつる

    返し

76 ただならじ とばかりたたく くひなゆゑ あけてばいかに くやしからまし

    朝霧のをかしきほどに、御前の花ども、色々に乱れたる中に、
    女郎花いと盛りなるを、殿御覧じて、一枝をらさせ給ひて、几帳のかみより、
    「これ、ただに返すな」とて給はせたり

77 女郎花 さかりの色を 見るからに 露の分きける 身こそしらるれ

    と書きつけたるを、いと、疾く

78 白露は 分きても置かじ 女郎花 心からにや 色の染むらむ

【通釈】
 
    夜が更けて、わたしの局の戸を叩いてきた人が、翌朝、

  あなたが局の真木の戸口を開けてくれないので、夜中じゅう、水鶏よりひどいさまで
  泣きながら戸を叩いて、ついには叩き疲れてまいってしまったことだ。

    返事

  開けずにはおかないとばかりに、殊更に叩く水鶏のことですから、
  それに折れて開けてしまったなら、どんなに悔しい思いをしたことでしょう。
 
    朝霧の美しいころに、中宮の御前の花が咲き乱れている中に、女郎花がことに
    盛りであるのを、道長殿が御覧になって、一枝折らせなさって、
    几帳の隙間より「これを、歌もなしに返すな」と言って、くださった。

  女郎花の花盛りの黄色を見ると、花に置く露にまで分け隔てされ、美しい色に
  見えないわが身と知らされることです。

    と書きつけたのを、たいそう速く

  白露はどの花と分け隔てして降りるわけではないだろう。女郎花はみずからの
  心持ちによって、美しく花の色を染めているのだろうよ。

【語釈】
●戸を叩きし人……新勅撰集では、詞書に道長とする。
●異に……異常に。ひどいさま。
●たたきわびつる……叩き疲れて、まいってしまった。
●ただならじ……開けずにはおれまい、として。
●とばかり叩く……ただならじ、「と言わんばかり」に「しばらくの間」、「戸ばかり」叩く。
●ただに返すな……徒(ただ)に返すな。解釈が分かれる。
・平凡な返歌をするな、歌を詠んで返せ、歌を添えて返せ。 『大系』『集成』『評釈』『全評』
・(75番歌を受け、今度はわたしを)ただ局から帰すな、という道長の宣言 『論考』
●女郎花さかりの色……中宮彰子のめでたさ、美しい容姿のたとえ。
●露の分きける……露までが差別して、置き方に差をつける。天の恩恵の度合いが大きく栄光に浴する人(中宮彰子のような人)と宿運拙い我が身を引き比べる。
●心からにや……みずからの心の持ち方によって、美しく色が染まる。

【参考】
『新勅撰集』恋五、1021
「夜ふけてつまどをたたき侍けるに、あけ侍らざりければ、あしたにつかはしける 法成寺入道前摂
政太政大臣
夜もすがら くひなよりけに なくなくぞ まきのとぐちに たたきわびつる」
『新勅撰集』恋五、1022
「ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてばいかに くやしからまし」
『新古今集』雑上、1565
「女郎花 さかりの色を 見るからに 露の分きける 身こそしらるれ()」
『新古今集』雑上、1566
白露は わきてもおかじ 女郎花 心からにや いろのそむらむ