たへなりや

ホーム 上へ

    土御門殿にて、三十講の五巻、五月五日にあたれりしに

66 妙なりや 今日はさ月の 五日とて 五つの巻に あへる御法も

    その夜、池の、かかり火に、御燈明(みあかし)の光りあひて、
    昼よりも底までさやかなるに、菖蒲の香、今めかしうにほひくれば

67 かがり火の 影もさわがぬ 池水に 幾千代すまむ 法の光ぞ

    おほやけごとに言ひまぎらはすを、向ひ給へる人は、
    さしも思ふことものし給ふまじきかたち、ありさま、よはひのほどを、
    いたう心深げに思ひみだれて

68 すめる池の 底まで照らす かがり火の まばゆきまでも うきわが身かな

【通釈】

    土御門邸で、法華三十講を行った際、法華経第五巻が五月五日の日に当たっていたので、

  霊妙なことだ、今日は五月の五日というので、講ずる法華経第五巻も、
  第五巻、五月、五日と重なったその偶然も。

    その夜(法華三十講の夜)、篝火に御燈明が光り輝いて、池の水面が
    昼間より水底まで明るく澄んでいるところへ、菖蒲の香がすっきりと匂ってきたので

  篝火の光さえも瞬かず照らす池の水面に、いったいこれから何年の間、
  仏法のありがたい光(功徳)が射し込んで澄んでいるのだろうか。

    公的な立場で詠むような歌に言い紛らわしたのを、差し向かいになっている人は、
    それほどにも思い悩むことなどありそうもない容貌や容姿、年齢のことを、
    たいそう心を痛めて思い乱れる様子で

  澄み切った池の底まで照らす篝火のまぶしさまで、憂いに満ちた暗いわが身が
  引き比べられて辛いことだ。 

【語釈】
●土御門殿……藤原道長の邸第。土御門大路南、東京極大路西の二町を占める。京極殿、御堂殿、土御門第、土御門邸、上東門院邸などとも呼ばれた。
●三十講の五巻……法華三十講。法華経廿八品の前に、無量義経1巻、終わりに観普賢経1巻を加えて三十巻とし、三十日間に1巻ずつ講ずる行事。五巻は、法華経第五巻目の提婆達多品、勧持品、安楽行品、従地涌出品から成り、第十二品の提婆達多品は最も盛大に講じた。
●妙なりや……何と霊妙なことか。
●御法……仏法。法華経の冥利。
●池の、かかり火に……「池の篝火に」とする訳と、「池が、篝火に」と池を主格にとる訳がある。
●御燈明……神仏の前に備える灯火。
●今めかしう……新鮮で華やかな感じ。
●影もさはがぬ……光が瞬きもせず、静かに水面を照らしている様子。
●法の光……仏法の功徳。
●おほやけごとに言ひまぎらはす……本心を言わずに、公に出せる賀歌に紛らわして言う。
●向ひたまへる人……日記歌によれば、同僚女房、大納言の君(源扶義女廉子。道長の妻倫子の姪)。
●さしも思ふこと物し給ふまじき……それほど悩むことなどおありにならないような。
●心深げに……深刻そうな様子。
●まばゆきまでも憂き……まぶしく華やかで、気が引けて感じられるほど、辛いわが身である。

【参考】
『紫式部集(陽明本・也足本・桂本・常本)』日記歌
「三十講の五巻、五月五日なり。けふしもあたりつらむ提婆品を思ふに、阿私仙よりも、
この殿の御ためにや、木の実もひろひをかせけん、と思ひやられて」
「池の水の、ただこの下に、かがり火にみあかしの光りあひて、
    昼よりもさやかなるを見、思ふこと少なくは、をかしうもありぬべきをりかなと、
    かたはしうち思ひめぐらすにも、まづぞ涙ぐまれける」