遠き所へ行きにし人の亡くなりにけるを、
親はらからなど帰り来て、悲しきこと言ひたるに
39 いづ方の 雲路と聞かば 尋ねまし 列(つら)離れけむ 雁がゆくへを
いたう霞みたる夕暮に、人のさしおかせたる
40 雲の上も 物思ふ春は 墨染に 霞む空さへ あはれなるかな
返し
41 なにかこの ほどなき袖を ぬらすらむ 霞の衣 なべて着る世に
【通釈】
遠いところへ行っていた人の亡くなったことを、その親兄弟が帰ってきて悲しいことを告げたので、
どちらの雲路と聞くことができたなら、訪ねていこうものを。
親しい人々から離れて、飛び立ってしまった雁のようなあの友の行方を。
去年の夏より薄鈍色の喪服を着けているわたしのところに、女院(東三条院詮子)
が崩御なさった翌年、たいそう霞がかった夕暮れに、ある人が使いをよこした
雲の上である宮中でも、女院がお亡くなりになったために物思いをする春が
めぐってきて、墨染の色に霞む空までもがあわれを誘うことです(あなたもこの
霞む空を同じ思いで見ていらっしゃることでしょう)。
返事
何がいったい、狭い、小さなわたしの袖を濡らすのでしょう。
誰もが今の霞のように薄墨色をした喪服を着ているこの時世に。
【語釈】
●遠き所へ行きにし人……6・7番歌の贈答の相手、肥前守の娘を指すと思われる。
・肥前守女 ・惟規 与謝野晶子など
肥前守についても諸説ある。
・平維将 『世界』『全評』 ・橘為義 『基礎』
●親はらから……親や兄弟姉妹。
●いづ方の雲路……死んだ友を雁に例えているために、友はどの雲路に迷っているのかと想像する。火葬の煙がたちのぼっていく先が空(雲路)であることや、死んだ者は死後四十九日の間、中有に迷っているとされることからも、雲路と言うのは自然だったのだろう。
いづ方の 雲路にわれも まよひなむ 月のみるらむ こともはづかし(『源氏物語』須磨)
●尋ねまし……尋ねたいのだが、どこにいるのと聞くことはできないのが悲しい。
●列離れけむ雁……親兄弟やわたしといった、身内・仲間から離れてどこかをさまよっているであろう雁(従姉)。
初雁は 恋しき人の 列なれや たびのそらとぶ 声の悲しき (『源氏物語』須磨)
常世出でて旅の空なる雁がねも 列におくれぬ ほどぞなぐさむ (『源氏物語』須磨)
さ夜中に友(『源氏物語』少女)
羽翼うちかはす雁がねも列を離れぬ、うらやましく聞きたまふらむかし。 (『源氏物語』横笛)
雲居を渡る雁の翼も、うらやましくまぼられたまふ。 (『源氏物語』幻)
●去年より薄鈍なる人……長保3(1001)年4月25日、宣孝と死別し、薄鼠色の喪服を着ている式部を指す。
●女院かくれさせ給へる又の春……東三条院詮子(一条天皇母)の薨去(長保3年閏12月22日)の翌春。
●人のさしおかせたる……ある人が使いをよこして置いていかせた歌。
・女友だち 『国文』 ・倫子などの意を受けた宮中女房 『全評』
・
身分の高い人 『叢書』
●雲の上も雲の上と言われるこの宮中でさえも。「も」は同趣の事柄を挙げて、言外に他にも似た状況・事柄の存在を類推させる係助詞。
●霞む空さへ……霞んでいる空までが。「さへ」は〜までも、の意を表す副助詞。
●なにかこの……なぜ〜なのか。
●ほどなき袖……ほどなき身の袖。取るに足りないわたしのような者の袖。
●霞の衣……喪服のこと。霞の「すみ」に「墨」を懸ける。
●
さしおかせたる……助動詞「せ」を使役の意に取る説と、尊敬の意とみる説がある。
・尊敬語『叢書』 ・使役 『全評』『国文』『集成』『大系』『評釈』
文を置いていくのは文使いで、文を書いた当人ではないから、ここは使役の意と取るべきである。
【参考】
『千載集』哀傷、563
「遠き所に行きにける人の亡くなりにけるを、親はらからなど、都に帰り来て、悲しきこと言ひたるに、つかはしける
いづ方の 雲路としらば たづねまし つら離れけむ 雁の行末」
『玉葉集』巻十七、雑四、2290
「東三条院かくかくれさせ給ひにける又の年の春、いたく霞みたる夕暮れに、人のもとへつかはしける
紫式部
雲の上の 物思ふ春は 墨染に かすむ空さへ 哀れなるかな」
『新千載集』巻十九、哀傷、2179
「東三条院かくれさせ給ひて、又の年の春、せうそこしたる人の返りごとに
何かこの ほどなき袖を ぬらすらむ 霞の衣 なべてきる世に」