おりてみば

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    桜を瓶に挿して見るに、取りもあへず散りければ、桃の花を見やりて

36 折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜をしまじ

    返し、人

37 ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には 思ひおとさじ

    花の散る頃、梨の花といふも、桜も、夕暮の風の騒ぎに、
    いづれと見えぬ色なるを

38 花といはば いづれか匂ひ なしと見む 散りかふ色の 異ならなくに

【通釈】
    桜を瓶に挿して見たところ、すぐに散ってしまったので、桃の花を見やって詠んだ歌

  折り取って見たならば、近まさりするのであってほしい、桃の花よ。
  こちらの思いなど汲みもせず、散ってしまう桜などに未練は持ちますまい。

    返し、あの人

  百に通ずる桃という、長寿を示すめでたい名もあるものだから、
  あっという間に散る桜に比べて、劣っているとは考えまいよ。

    花の散るころ、梨の花というのも、桜も、夕暮れの風が激しく吹いて散っていくが、
    花びらはどちらと見分けられない色であるのを

  花という名のつく限り、桜と梨と、どちらが「匂ひなし(美しくない)」と見るものだろうか。
  入り交じり、乱れ散る花びらの色は、違うところもないのに。  

【語釈】
取りもあへず……たちまち、すぐ。
●折りてみば……桜は瓶に挿したが、まだ折っていない桃の花を折ってみたならば。
●近まさり……近劣りの対語。近づけば近づくほど優れていること。
●思ひぐまなき……無情な、自分勝手な。思いやりのゆきとどかない。桜がこちらの気持ちも考えずに散る様子を述べる。
●返し、人……人を宣孝とする説が多いが、実は式部の独詠で贈答の形式にしたという解釈もある。
 ・宣孝と贈答 『集成』『全評』『評釈』『新書』『基礎』   ・独詠 『叢書』
●ももという名もあるものを……桃には、百という長寿を表す名もあるのに。
●時の間に……ほんのちょっとの間。すぐ、あっという間に。
●散る桜には……比較の対象を指示する助詞「に」+係助詞「は」で〜に比べては。
思ひおとさじ……軽んじたり、見下げたりはしない。
花の散る頃……花は桜と限定せず、花一般。
風の騒ぎに……異常な風のざわめきの中では。
いづれと見えぬ色……桜も白いが、梨の花も白いため。
花といはば……仮にも花と名が付くならば。
異ならなくに……「なくに」は詠嘆を込めて打ち消す「〜ないことだなあ」・詠嘆的に打ち消して下に逆接する「〜しないのに」・詠嘆的に打ち消して下に順接する「〜しないことなのだから」の3種類。ここは「違いがないのだから」。

【参考】
『続後拾遺集』物名、503
「梨の花の、桜とともに散りくるを見てよめる
花といはば いづれか匂ひ なしと見む 散りかふ色の 異ならなくに」

【考論】
<桜・桃・梨の開花時期>
 桜、桃、梨を前にした式部と、おそらく宣孝との贈答である。式部が桜の枝を瓶に挿して鑑賞しようとしたところ、散ってしまったので、今度は庭に咲いていた桃を見て、歌を詠んだということだろう。桃の節句には男が女の家に訪れるという風習もあり、時期は3月3日の直前であろうというのが通説である。
 贈答のあった年についても、前の32〜35番歌が長保元(999)年の初春の詠であろうというのが通説なので、上の贈答はそれに続くものとみなす解釈が大勢である(『大系』『基礎』『集成』など。唯一、『叢書』は宣孝没後の独詠としているので長保4年以降か)。
 が、『経緯』によれば、これは長保2年のものとする。それは、桃の節句が新暦の何月何日に当たるかを調査し(下記参照)、桃と桜の開花時期から勘案して、桃の節句が4月中旬以降になる年が該当するとみなしたからである。

長徳3(997)年 4月17日      京都における桜(ヤマザクラ)の開花は4月上旬 中旬に満開 
長徳4(998)年 4月7日        〃      桃の開花は3月下旬      4月上旬に満開
長保元(999)年 3月27日
長保2(1000)年 4月15日
長保3(1001)年 4月5日
 
 このうち、贈答歌の相手が宣孝で、しかも結婚後となると長保元・2・3年しか候補がない。しかも、長保3年は4月25日に宣孝本人が亡くなっており、その年の2月には春日祭使を辞退しているほどであるから、病状は思わしくなかったのだろう。こんな悠長な歌を詠んでいられるはずがなく、結局は長保元・2年のいずれか、ということになる。
 たしかに、3月中に桜が散るのは少々早すぎるので、長保2年かと考えたくなるところだが、それでは桃のほうはどうなるのだろうか。ヤマザクラよりも少し開花時期の早い桃は、4月中旬にはもう散ってしまうのではないだろうか。
 そもそも、桜の花が自然に散る時期を云々することが誤りであるように思う。切って瓶に挿したために、桜はすぐに散ってしまったのではないだろうか。そうでなければ、桃のほうが散らないでいるという状況はできないだろう。そうすると、長保2年よりはむしろ、長保元年のほうがふさわしいという気がする。
 そして38番の梨の花である。これは桜より開花時期が遅く、4月下旬から咲くそうである。それで桜と同時に散るというのだから、そんなことがあり得るのかどうか、疑問が湧く。風が強く吹いたから、ということにしておくしかないのだろうか。
 あるいは、『叢書』の言うように式部は独り頭の中でこれらの歌を詠んでいるだけで、眼前に花の実物もあったのかどうか、怪しいと思いたくなる。まさか式部が、別の花を梨の花と間違えたのか、それとも昔の梨の花は、品種改良が進む現代の梨と比べて開花時期が違っていたのだろうか? 考えるほどに、迷宮入りする開花時期である。