つゆふかく

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    はるかなるところへ、行きやせむ行かずやと、思ひわづらふ人の、
    山里より紅葉を折りておこせたる

8 露深く おく山里の もみぢ葉に 通へる袖の 色を見せばや

    返し

9 嵐吹く 遠山里の もみぢ葉は 露もとまらむ ことのかたさよ

    又、その人の

10 もみぢ葉を さそふ嵐は はやけれど 木(こ)の下ならで ゆく心かは

【通釈】
    はるかに遠いところ(身内の任国)へ行こうか行くまいか、と思い悩んでいる人が、
    山里より紅葉を折って手紙に付けて贈ってきた
         
   露を置いてしっとりと濡れているもみじの葉のように、嘆きの涙で紅に染まっている
  わたしの袖の色を、あなたにお見せしたいものです。  
  
    その返事
     
   嵐の吹いている遠山里のもみじの葉には、露は少しの間もとどまっていることは
  できないでしょう(あなたもきっと、家族について遠いところへ行くことになるでしょう)。

    また、その人の返事

  枝に付いているもみじの葉を散らそうとする嵐の力は強いけれど、木の下でなくて、
  どこへ散っていくことがありましょうか(わたしを下向させようとする人の気持ちは固い
  けれど、あなたのいるこの都でなくては、どこへも行きません)。
  
     
【語釈】
●行きやせむ行かずや……行こうか、それとも行くまいか。
●思ひわづらふ人……思い悩む・思案にくれる。男女関係の悩みが多い。6・7番歌の人と同一人物、別人両方の説がある。
・同一人物 『世界』『評釈』 ・別人 『叢書』
●山里……都から離れた土地や山村など洛外に建てられた家、別業(別荘)を指す。ここでは別荘かゆかりの寺などだろう。
●紅葉……特定の植物ではなく、紅葉する葉を有する草木の総称。葉そのものはもみぢばと言った。
●おく山里・遠山里……ともに『源氏物語』には例がない。
●露深くおく山里……「置く」と「奥」を懸ける。露がしとどに置く、奥山の里にある山荘。
●通へる……似ている。
●見せばや……お見せしたいが、できないのが残念です。
●嵐……外からの強い圧力。式部の友人を地方へ連れて行こうという父または夫の強い意志。
●遠山里……洛中から離れた、遠い山里。
●露もとまらむことのかたさよ……「露も」に少しも、いささかもの意を掛ける。嵐が吹けば、紅葉の葉に露が留まっていることが難しい。それと同じく、友人も身内が地方に赴任するからには、少しの間も都に留まっていることは難しいことを示唆した。
●さそふ……誘い、そそのかし連れ去る。
●はやし……疾い・はげしい。
●木の下ならで……「木の下」をどう取るかで解釈に差が出る。
・親許 『新書』『集成』 
・「木の」に「此の」を懸けて式部を指す(都) 『評釈』『論考』『大系』『国文』『叢書』
・子のもと(木と懸ける) 『基礎』
 『源氏物語』では「木のした」「木のもと」で子を懸けた例がある。
木の下の雫に濡れてさかさまに (柏木)             
木のもとさへや秋は寂しき (総角)  
 秋はてて寂しさまさる木のもとを (総角)   
 ただし、10番歌は子の意味を持たせる必要はなく、 もみぢ葉である私を育ててくれた、この木(都・式部)のもととするべきか。
●ゆく心かは……行く気にはなれない、という意味に満足できないという意を懸ける。                
【考論】
<思ひわづらふ人>
 1・2番、6・7番の贈答に続いて、また京を離れることになりそうな女友だちとの別れを惜しむ歌が展開されている。式部たち受領階級の娘にとって、このような場面が多々あったことだろう。地方赴任に伴う別れは突然で、残酷でさえある。成人前ならば父親の任国へついていき、結婚後なら夫についていく。子どもが父親に逆らって都にとどまることは、別の保護者がいなければ難しいだろうし、夫についていかなければ、それはすなわち離婚の危機を承知だという意思表示になってしまう。
 この歌の相手は、どうやら夫に任国へ行こうと強く言われているらしい。
 上の一連の贈答で問題になるのは、「思ひ煩ふ人」が6・7番歌の「筑紫へゆく人のむすめ」、そして11・12番歌の「物思ひ煩ふ人」と同一人物であるのかどうか、ではないだろうか。
 未婚時代に贈答を交わした女友だちについて、諸注釈書をみると、6・7番と15〜19番歌で1人(39番も贈答ではないがこの従姉について詠んだもの)とすることではほぼ一致する。また、8〜10番、11・12番歌で1人とするのも異論がない(詞書の「思ひ煩ふ人」が同一語句であるため)。
 説が分かれるのは、8〜12番歌が果たしてこの従姉との贈答か否かというところである。別人説の理由をみると、「(10)の『紅葉をさそふ嵐ははやけれど』とあるところをみると、〜(中略)〜愛人から同行をはげしく強いられているようなので」父親が任官した6番歌の友とは別人とし(『講座』)、「筑紫へ行く従姉妹は、行くと決めてかかって〜(略)〜これは別人で、多分夫か父親かが地方官になって行くのに、同行しようかすまいかと、思い悩んでいるのであろう(『叢書』)」「積極的に同一人とする根拠はないので(『国文』)」など。同一人物説は「6・7・8・9・10・11・12は一連のものとして見る方が無理もなく、二人の女性の性格も表れている(『評釈』)」、また『世界』は自明のこととして同一人物扱いしているが、理由については特に触れていない。
 要するに、従姉が父についていくのに、この8番歌の女性は夫に伴われて下向するらしいのが別人説の根拠だと言えるが、必ずしもそうとは言い切れないのではなかろうか。「紅葉をさそふ嵐ははやけれど」は父親の強硬な態度とも言えるからである。従姉は年齢から考えて結婚している可能性が高いが、その結婚はうまくいっていなかったかもしれない。そうすると、父親としては、いったん地方に同行させ、事実上離婚させて、また新たに婿を探したいと思っても不思議はない。現に式部も宣孝との結婚話が進まなかったことも、越前下向の理由の一つであった。従姉のほうは、すでに夫が夜離れするかして、結婚生活が破綻しかかっていたと考えるのはどうだろうか。『全評』では、「物思ひ煩ふ」とは一般的には男女間の恋の悩みを指すというが、この推測ならばまさに当てはまっている。8番歌の女性はただ遠いところへ行くか行くまいか、と迷っているのではなく、夫か恋人か、男のことが絡んで下向を躊躇っているのである。
 もちろん、だからといって同一人物説に確たる根拠があるわけではない。
 ただし、家集の上では同一人物とするほうがいいと思われる。事実は、あるいは別人だったかもしれないが、式部は同一人物との贈答としてこの贈答を配置したのではないかと考えたい。それは「にしのうみを」で述べたとおり、6・7番歌の詠歌時期が8〜12番より後のことと思われるのに、なぜか前に置かれているためである。これが別人であるなら(あるいは読者に別人として認識してもらいたいなら)、なぜ6・7番歌と15〜19番歌を離す必要があるのか。詠歌年次順でもなく、従姉という1人の友との思い出をまとめるでもなく、ここに別人との贈答を挿入することは、式部が意図する家集の物語化という観点からすると、隣り合った歌同士の連携を著しく損ねて、物語でいうところのストーリーの流れを中断してしまうと言わざるを得ない。
 この8〜12番歌も従姉との贈答と考えることによって、6・7番歌がなぜ8〜12番歌の前に配されたのか、初めて理解できる。6番の歌は従姉の悩みがすでに解決した状態で詠まれているものである。つまり、式部は従姉が下向するということを先に読者に知らせて、「実は、ここへ行き着くまでにはこんなことがあったのです」と言わぬばかりに、従姉の心の葛藤と、その経過を示す8〜12番歌を後ろにつけたのである。これは『源氏物語』でもみられる手法で、「須磨」の巻でも、光源氏は京から須磨に旅立つのだが、語り手はまず、一行が須磨に早々と着いたことを記して後に、道中の様子を細々と解説していく。「筑紫へゆく」ことは読者に了解されていながら、8番歌で「はるかなる所」と朧化して言ったり、「思ひ煩ふ人」と言いながら、具体的な悩みについては何も語らないのは、ひとえに6番歌との関連があるからと言えよう。