おぼつかな

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    方たがへにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありて、
    帰りにける早朝(つとめて)、朝顔の花をやるとて

4 おぼつかな それかあらぬか 明け暗(ぐ)れの 空おぼれする 朝顔の花

    返し、手を見わかぬにやありけむ

5 いづれぞと 色わくほどに 朝顔の あるかなきかに なるぞわびしき

【通釈】
    方違えに来て泊まった人があって、何となく釈然としないことがあって、
    その人が帰っていった翌朝、朝顔の花を贈るというので
     
   気に懸かって仕方がないのです。この花は朝顔か、そうでないのでしょうか
  夜明け前の薄暗い空の下で、ぼんやりとしか見えない朝顔の花は。
  (夕べ、わたしの部屋に忍んできたのは、本当にあなただったのでしょうか、
  夜明け前、そらとぼけた顔でお帰りになった、そのあなた)
    
    返し、筆跡を見分けられなかったものだろうか(そんなことはありえないけれど、
    そうでも考えないことには腹の虫がおさまらないわ)。
     
   どなたからの文だろうと考えているうちに、朝顔がしおれてしまい、
  あるかなきかという状態になって、この花は朝顔かどうかわからなくなって
  しまったのは、困ったことです。

【語釈】
●方たがへ……陰陽道では、外出先が天一神が巡行する方角に当たっていると、まっすぐ目的地に向かわずに、前日の夜、いったん別の方角に宿泊して、方角を変えてから行くことを言った。
●なまおぼおぼしきこと……何となくはっきりしない訝しい行動。事情がはっきりしない、腑に落ちないこと。「なま」には軽侮の意が込められている。具体的に何を指すかは諸注釈書により異なる。
・男が式部(と姉)の部屋を覗いた、など 『大系』『論考』『国文』『全評』
・作者と姉のいる部屋に来て、色めいたことを語りかけた 『集成』
・作者の心に抱いているある事 『評釈』
・男と式部との間に情事があった 「紫式部の初恋(『新講源氏物語を学ぶ人のために』関連文献・専門書参照)」
●朝顔……植物名としては、牽牛子(けんごし)のこと。ヒルガオ科の一年草蔓草。木槿・桔梗とも言われる。ここでは朝の顔を掛ける。
●おぼつかな……「おぼおぼし」が事象を客観的に形容するのに比べ、「おぼつかなし」のほうは主観的に述べるときに使用する。訝しく、気に懸かる。
●それかあらぬか……「それ」は直前の具体的なものを指すことが多い。
・朝顔(=昨日会った男)か、そうでないのか 『論考』『集成』『大系』
・朝顔の花か、別の花か(表の意味) 昨日の出来事は本当にあったのか(裏の意味) 「紫式部の初恋」
●明け暗れ……夜明け前の、薄暗い時分。
●空おぼれする……そらとぼける、知らぬ顔をする。「そら」は「明け暮れの空」と「そらとぼける」を掛ける。
●朝顔の花……何にたとえているかは、以下のとおり。
・男の顔 『集成』  ・あなた(方違え人) 『論考』
・式部自身の困惑 『評釈』
●手を見わかぬにやありけむ……筆跡を見て区別・判別ができない故。この一文の持つ意味は諸説ある。
・式部が筆跡を変えて歌を送ったから、わからなかったのだろうか 『評釈』
・姉妹のいずれの筆跡か判別がつかなかったのか 『大系』『集成』
・式部が家集編纂時、自分の歌の問いをはぐらかされたことを読者にアピール 『全評』
・式部の歌のもつ表と裏の意味が、表だけを対象にして返歌されたことを示唆 「紫式部の初恋」
●いづれぞと……どなたから贈られた朝顔かと。多くの中から一つを選ぶ場合と、二つのうちどちらかを選ぶ場合がある。
・多くの中から(どなたから送られたのでしょうか)  『全評』『論考』 
・二つのうち一つ (姉妹のどちらから送られたのでしょうか)  『大系』『集成』 
●色わくほどに……種類を区別、判別している間に。「色」は朝顔の縁語。
●あるかなきかに……見るかげもない状態に萎れる。

【参考】
『続拾遺集』恋四、1002
「方たがへにまうできたりける人の、覚束なきさまにて帰りにける朝に、朝顔を折りて遣しける
覚束な それかあらぬか あけぐれの 空おぼれする 朝がほの花」
『続拾遺集』恋四、1003
「返し                    よみ人しらず
いづれぞと 色わくほどに 朝顔の あるかなきかに なるぞかなしき」

【考論】
この歌で解釈の争点となるのは、まずは相手の男は誰かということだろう。
・宣孝 『論考』『大系』  ・宣孝ではない 『叢書』  ・? 『評釈』『復元』『全評』
新講源氏物語を学ぶ人のために  (高橋亨・久保朝孝編 世界思想社 H7/2)』の「紫式部の初恋−明け暗れのそらおぼれ・虚構の獲得(久保朝孝)」では、紫式部は相手の男との間に