きたへゆく

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    姉なりし人亡くなり、また、人の、おととうしなひたるが、かたみにゆきあひて、
    亡きがかはりに、思ひかはさんといひけり。文の上に、姉君と書き、中の君と
    書きかよはしけるが、おのがしし遠きところへゆき別るるに、よそながら別れ惜しみて

15 北へ行く 雁のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして

    返しは、西の海の人なり
 
16 行きめぐり 誰も都に かへる山 いつはたと聞く 程のはるけさ

    津の国といふところより、おこせたりける

17 難波潟 群れたる鳥の もろともに たちゐるものと 思はましかば

    返し

【通釈】
    わたしは姉が亡くなり、また妹を喪った人がいて、互いに訪ね合い、亡き人の代わりに
    思いを交わそうと言い合っていた。手紙の上書に姉君・中の君と書いて文通して
    いたのだが、それぞれ遠いところに行くことが決まり、別れを離れつつも惜しんで    
     
   「中の君」と書いた上書きがかき絶えないように、あなたのいる西の国から北へ向かう
  雁の翼に託して、手紙を書いてちょうだいね。
  
    返事はあの「西の海」の人からである
     
   「かへる山(鹿蒜山)」の名の通り、月日が巡ってきたならばいつかは誰もが帰るというけれど、
  「いつはた(五幡・再び帰れるのはいつ?)と聞きたくなるくらいはるか遠い先のことに思われます  

    津の国というところからよこした歌

  難波の浦の浜辺で群れている鳥たちのように、いっしょにいられるもの、と信じていられたらいいのに、
  それができないのが悲しいわ。

    その返事
  
     
【語釈】
●姉なりし人亡くなり……式部の姉、為時の一女は式部の越前下向以前に亡くなっているが、その年は特定できない。正暦年間(990〜994)ごろか。
かたみに……互いに。
●ゆきあひて……相手を訪ねあって。
●書きかよはしけるが……書き交わしていたのだったが。
●遠きところへゆき別るるに……詞書にあるように、従姉は肥前に、式部は越前に、ほぼ同時に下向することになって。
●よそながら……直接ではなく、別々の場所で。
●北へ行く雁のつばさにことづてよ……雁は秋に北から飛来、春には北へ戻っていくので、従姉から式部への手紙も雁に託して、送ってほしいと頼んだのである。
●雲のうはがき
……雲の上を羽で掻きながら運ぶ雲翰のこと。上書きと上掻きを懸ける。
かきたえずして……「書き」に「掻き」を懸けている。
●行きめぐり……地方をめぐり歩いて、という空間的距離と年月を経て、という時間的な長さをかねる。
●かへる山……越前国鹿蒜山(福井県南条郡)。五幡の東方。主峰は鉢伏山(標高762m)。「帰る」を懸ける。
●いつはた……敦賀市の北方海岸(南条郡五幡)と、「いつになればまた(逢えるか)」の意を掛けている。
●程のはるけさ……時間的にも空間的にも長い、遠いという嘆息を込める。
●津の国……摂津の国。現在の兵庫県東南部、大阪府の北西部を指す。
●難波潟……難波(大阪)の潟(入江・浦・湾)、すなわち大阪湾を指す。
●立ちゐる……立ったり座ったり、という意味のほか、暮らす意もある。ここは後者か。
●思はましかば……そう思えることなら、思いたいのだが(実際はそうできない)。  

【参考】
『新古今集』巻九、離別、859
「浅からずちぎりける人の、行き別れ侍りけるに、
北へ行く かりのつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして」
『続拾遺集』巻十六、雑上、離別、1124
「津の国にまかれりけるとき、都なる女ともだちのもとにつかはしける
難波潟 群れたる鳥の もろともに たちゐるものと 思はましかば」

【考論】
<”姉君”の歌群>
 すでに述べてきたように、従姉との友情は式部にとって特別なものであった。越前への旅を目前に控えての歌が、15〜17番だけであるということは、別れが辛いと感じる相手は従姉をおいてはほかにない、ということであろう。式部が越前へ行くことになった理由の一つに、宣孝との縁談のこじれもあるはずなのだが、結婚前の式部と宣孝の贈答歌は、従姉との贈答の前では影が薄い。式部は結婚にも男にも、女友だちとの交流ほどには熱心になれなかったということだろうか。
 ともあれ、従姉は肥前に、式部は越前に旅立つことになった。長徳2(996)年の夏のことである。不思議に思うのは、6番歌からすでに何度も登場している従姉に関して、ここ15番にもなって、ようやく姉妹の約束を交わした人であると述べていることである。しかも、式部の歌は7・15番と、非常に似通った語句や発想を有しており、それを連続してではなく、わざわざ離して配列したことにも疑問が湧く。
 6番歌の人が従姉であると認めているのは『論考』『全評』『評釈』『講座』『国文』『叢書』などであるが、この疑問について言及している注釈書は見あたらない。
 西へ行く月のたよりに玉章のかき絶えめやは雲の通ひ路
 北へ行く雁のつばさにことづてよ雲のうはがきかきたえずして
 第一句「西へ行く」・「北へ行く」に始まり、「雲の通ひ路」・「雲のうはがき」、「かき絶えめやは」・「かきたえずして」と類似の語句、発想の上でもどちらも手紙を月・雁にことづけて文通すると言っている。式部は従姉に対して、7番で西へ行く手紙を絶やさぬと言い、15番では北へ行く手紙を絶やさないでほしいと言っているので、文通の続行を希望している点では何ら変わらない。
 式部はこの二首を離して置くことで、従姉との贈答を括弧でくくったような意味合いを持たせたかったのではないか。6番歌も含めて、間に入れられた10首のうち、季節の関係で前後するものあり、また別人の友人ではないかと疑われる歌もあるのだが、式部にとってはそれも従姉へ繋がるものと考えて、ここへまとめて置いたのであろう。式部は歌を配列するにあたって、時系列を原則とはしているが、時に歌のイメージによる連鎖、連想をも配列の基準として採用しているのである。それはこの後の配列にも随所に見られる。時系列とイメージの連鎖のどちらを優先させるかは、式部が歌を詠んだとき、または家集を編纂した時点において、対象となる人物や事象の記憶がどれほど強烈なものであったか、式部にとって大切なものであったか、という度合によって使い分けられているように思われる。
 それでいくと、従姉の思い出は式部にとってはことに大切であり、時系列を無視しても家集に残しておきたい歌群であったろう。『紫式部集』の歌はこのような式部の意識によって作られた歌群の存在を念頭に置いて理解することも必要だと思う。