しもこほり

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    物思ひわづらふ人の、うれへたる返りごとに、霜月ばかり

11 霜氷 閉ぢたるころの 水くきは えもかきやらぬ ここちのみして

    返し

12 ゆかずとも なほかきつめよ 霜氷 水の上にて 思ひ流さむ

【通釈】
    もの思いに悩まされている人が、悩み事をうちあけてきた、その返事。十一月ごろのことだった。  
     
  霜が凍って氷となるころの水くきは掻くことができそうもないように、あなたの悩みを
  解決してさしあげるような返事を書くことはできそうもないという気がします
  
    返し

  筆が進まなくとも、やはり霜氷をかき集めるごとく、お便りをください。わたしの悩みも、   
  霜氷が解ける水の上で、流し去ってしまいましょう。   
  
     
【語釈】
●物思ひわづらふ人……『全評』によると、「物思ひ」と言った場合、一般的には恋の悩みを指すのであって、ここもそうであろう。友人が恋の悩みを訴えてきたとする。『国文』では何か式部との間に感情の食い違いがあったものとするが、当該者であるにしては、「物思ひわづらふ人」では、他人事のように思われて不審。『叢書』では未婚の式部に恋の悩みを相談するのはおかしいとし、8番〜10番歌の贈答の相手と同一として地方に下るかどうしようか、という悩みと解する。
●うれへたる……悩みをわたしに訴えてきた。
●霜氷……霜と氷とするのが通説だが、「閉づ」は霜には使われないので、霜が凍って氷になったものと解する。
霜氷うたてむすべる明けぐれの空かきくらし降るなみだかな(『源氏物語』少女・ここは結べるとあるので霜と氷)      
・霜が凍って氷になったもの 『論考』『集成』『大系』『国文』 ・霜と氷 『評釈』『全評』
●霜氷閉ぢたるころ……ここでは、式部に手紙をよこした友人の悩みをたとえている。
・友人の悩み 『評釈』『全評』『大系』『新書』 ・式部自身の悩み 『論考』
『論考』によれば、下記の「水くき」の主語が式部である以上、それを修飾する「霜氷閉ぢたるころ」は式部自身の心境を指すという。たしかに「霜氷閉ぢたる水くき」ならばそうであろうが、霜氷が閉じるころの水くき、となると、必ずしも式部の心境と限定されるわけではなく、友人が解決しがたい問題で悩んでいる、そんな状況でと解すことはできる。
●水くき……筆跡のこと。『全評』『評釈』『集成』『論考』『国文』が式部の筆跡とする。 
●えもかきやらぬ……「なかなか筆が進まない」に「凍結した霜氷を掻きやることができない」の意味を懸ける。友だちの悩みを解決してあげられない、という気持ちが込められているか。
●ここちのみして……何もしてあげられない、という気持ちばかり先に立って。
●ゆかずとも……「霜氷が凍っていて、掻きやることができなくても」に、「筆が進まなくとも」を掛ける。
●なほかきつめよ霜氷……「霜氷を掻き集めてください」から「手紙を書き積めてください」を導く。やはりお便りをください、ということだが、霜氷を相手の友人の悩みと取るか、式部の悩みと取るかで解釈が分かれる。友人の悩みとするほうが自然か。
・友人の悩み 『全評』『評釈』『集成』『国文』 ・式部の悩み 『論考』
●水の上にて……水の上で悩みを流す、とする訳と、それはさておいて・関係ないものとして・それはそれとして、または式部の筆跡で、という意味に取る解釈がある。
・水の上で悩みを流す 『国文』『基礎』・それはさておいて 『全評』 ・式部の筆跡(手紙)で 『論考』『評釈』『叢書』『集成』
●思ひ流さむ……思い(悩み)を心中から流し去る、次から次へと思い続ける、の二つの意味がある。中世以降は、思いを流し捨て、あきらめる・断念するの意にも用いる。 
・思い(悩み)を流し去り、心晴れる 『評釈』『集成』『新書』『全評』 ・思いやる、想像する 『論考』

【参考】
『玉葉集』巻十四、雑一、2042
「霜月ばかりに、物思ひける人の、うれへたる返ごとにつかはしける
霜氷 とぢたる比の 水茎は えもかきやらぬ ここちのみして」

【考論】
<8〜10番歌の贈答との関連>
 直前の8〜10番の歌の贈答をした相手も、「思ひわづらふ」人であったが、この人は12番歌の作者と同一かどうか。
・同じ相手である 『国文』『基礎』『叢書』『世界』 ・どちらでもよい 『評釈』 ・記載なし 『新書』『大系』『全評』
 記載がないのは、前の歌の贈答を意識する必要はない、ということなのだろうか。しかし、この二つの贈答は季節的にもみじの季節(陰暦十月ごろ?)から、霜月とひと続きであることを感じさせるし、「思ひわづらふ」以外にも共通点もある。
 それは、式部の相手の友人が取る態度である。この友人は式部に悩みを訴える割には、式部に何と返事をしてもらいたいのか、いま一つはっきりしない。8番歌で友人が悩んでいることを知らせてきたから、あなたは都に留まっていられないでしょう、答えたのに、その返事は「行くものですか」とある。『叢書』で言われているように、この友は気が強くて気持ちの振幅が大きいのだろうか。そうして、11番歌で式部はとうとう、わたしはどう返事してよいのかわからないわ、と答える。そうすると、解決案を出してくれなくてよいから、とにかく文を書いてくれというのである。
 この友は、式部に具体的にアドバイスをしてほしいわけではないらしい。とにかく自分の悩みを聞いてほしいのと、式部から何か反応をしてほしいだけなのである。おそらく友人自身でも、地方に下ることになるだろうということは、ほとんど決定事項のはずなのだ。それなのに、人にあれこれ悩んでいることを訴えるのは、女性特有の「わたしは恋に悩んでいるのよ」というポーズをとっているだけだろう。式部もそのことに気付いているからこそ、そうした女性心理にまともにつきあっていられないわ、と11番歌で暗に言っているような気がする。
 とすると、この友人の悩みとは、地方に下るかどうしようか、ということではあるが、それは同時に恋愛(あるいは結婚)している男についていこうかどうしようか、ということだから、恋の悩みでもある。さればこそ、同性の友人に相談する価値もあろうというものだ。父親についていくのでは、悩みの披露のし甲斐がない。だから、『叢書』の言う悩みも、結局は『全評』などと同じことを指している。
 『論考』では一語一語について、文法的解釈がなされている。その結論として、11番歌「あなたは悩みが書けるからいいわね。わたしの悩みは書くこともできないわ」12番歌「それでもやはり、悩みを打ち明けてよ。あなたの悩みを思いやりましょう」という訳ができあがるのだが、女の悩み相談と考えれば、やはり深読みせず、素直に訳したほうがそれらしいと思われる。