私のHP.を見て下さる方々が多い事は、嬉しい事に違いない。ファゴットと言う楽器をする上で、色々な問題にぶつかった時は出来るだけ役に立ちたいと思う。それがこのHP.を作ろうとした理由でもある。
しかしながら、答えようの無い質問をして来る人が必ずいる。メールなら只で何でも教えてもらえると、甘ったれたものだ。その上、無礼千万な書き方で来る。音楽の前に国語を勉強すべきだ。テレビの身の上相談じゃあるまいし、ギャラももらわずに下らない質問に付き合う義理は無い。だからHP.に「氏素性を明らかにしないメールには返信しません。悪しからず」と書いてあるのに、また来る。それに、どう考えてもHP.を充分に読んでいるとも思えないケースがほとんどだ。(中には嫌がらせとしか思えないものまである。)
何より不快なのは“何も考えずに”書いてくる事だ。自分で調べて、色々な勉強をして、それから訊いて来るなら答えようもある。例えばこの様なメールに貴方は答える気になるだろうか。
「ファゴットを始めて○年の高校生(中学生の場合も)です。ファゴットを上手になりたいのですが、どうしたら良いか教えて下さい。」「バリバリする音って、どんな音ですか。良い音って、どんな音ですか。」「良い音をだすコツを教えて下さい。」「突然先生にファゴットをやれと言われたんですが、困ってます。吹き方を教えて下さい。」 etc. もちろん住所氏名年齢その他、自分に関する事は何も書いていない。(念の為だけれど、大人でもいる。)
さて、これにメールで答えられる人はいるのだろうか。いや、メールじゃなくたって答えられる訳が無い。何の情報も無く何を“教えろ”と言うのか。気楽に書くのだろう、当人はまるで傷つかないから。こうしたものに、努力し何かを手に入れて自分で何とかしようと言う心構えも、人に教えを乞う態度も無い。匿名で接触して来て、何の繋がりも無い他人から、親切に何でも教えてもらえると思う、さもしい根性が許せない。大体、簡単に答えが出るなら、こんなに長くやってない。簡単ではないから、だから面白い。
時折、割りにちゃんと書いて来る子もいる。その時は必要な事項を書かせ、答える。それにしたって、想像して答える訳だから、無責任になる危険が付き纏う。近くにプロオケがあれば、そこに行って先生を見付ける様にアドヴァイスする事が多い。そうして答えても、その後礼を述べる人もそれっきりの人もある。後者の場合は、二度と親切になんかするものかと何時も思う。でも、また答えてしまったりするが。
日本には悪しき伝統があって、それは先輩と称する素人が後輩と言う名の素人を教える事だ。だから只で教えてもらえると思うのだろう。まあ、単なる自称「プロ」も少なくは無いから「先生」を選ぶのも大変だけれど。実際、専門家面をしながら駄目な奴もこうした風潮を助長していると言える。が、それは別な話としよう。
先輩が専門教育を受けていれば、少なくとも専門家に教えを受けているなら、そして才能も多少あれば許せる事もあるが、まあ、ほとんどは無理だ。仕事で覚えられる事は多いし、仕事をしないと分からない事が多過ぎる。医大を出て国家試験に通れば医師だけれど、積極的に見てもらいたいと貴方は思うだろうか?司法試験に通って修習生をすれば、法律の実務がすぐに出来る訳では無い。どうして音楽は勝手気儘に、そしてすぐにCDの様に出来ると思うのだろう。
確かに医学知識を身に付ける事も、また法律を勉強してトラブルを回避する事など、専門家で無くともある程度は出来る。しかし、それはそうした専門家の扱う事柄の一部でしか無い。大概の人はそう考え、納得してくれるだろう。音楽も同じ様に考えられないのは、やらなくても金や命に関らない事もあるし、下手でもそこそこ楽しめれば良いと思う人が多いからだろう。誤解を恐れずに言えば、それはカラオケ好きのレベルだ。
しかし、音楽のみならず“芸術”と言うものは、プロアマを問わず携わる人に常に進歩を求めるのだ。早い話が「上手くなれば、もっと面白い」と言う事。その為には時間と訓練とお金が掛かる。勉強なら小学生に大学レベルの事をさせようとしないのに、音楽なら出来ると思う方がおかしい。勝手に上手くなる人がいるのは否定しない。だが、才能は偏在するのだ。一部の才能ある人達と普通のレベルの人達では同じにはならない。塾に行くのだって相当お金が掛かる。塾は音楽のレッスンと違い、大勢で授業をするのにだ。例えば、才能が相当あったとしてもプロのピアニストになる為には、3〜4才でピアノを始め、毎週レッスンに通い、同じ様に努力をする。それでも、その中の一握りの人しか専門家にはなれない。そして管楽器はそこまでする事が無いだけに、甘い考えに陥る事が多く、下手くそがまかり通る訳だ。しかし、他人が努力して手に入れた事柄を、簡単に訊き出そうとする気持ちが分からない。
音楽をする効用の一つは、「自らの頭でものを考え、自分で処理する」能力が身に付く事だと考えている。それは、嫌いな事をする訳ではないので、時間を掛けお金を掛け練習をし勉強もするからだ。面白いから苦労とは思わない。全て一人で処理するのは効率が悪いので、専門家の助けを借りる事になり、これがレッスンと呼ばれる。音楽の歴史を全部自分一人で経験出来る訳が無い。自己流は限界がある。貴方がモーツァルトくらいの天才なら別だが。我々は常に先人の築いたものの上にいる事を忘れてはいけない。教えを受ける事は、それを受け継ぎ発展させる事になる。音楽が好きで、才能がありこうした事をすれば、プロにならなくても音楽は死ぬまで友達であり続ける事だろう。
私自身が、大学オケからプロの世界に入ったし、アマチュアでも、玄人裸足の仲間が少なからずいる。だからアマチュアがプロより何時も駄目とは思わない。しかし、その多くは高校や大学時代に専門家、平たく言えばプロに教えを受けた人達だ。初めが肝心だ。でも、それほどのレベルにも人を教えて欲しくは無いのだ。教える事は難しい。議論して良い方向を目指す行為自体は問題無いけれど。技術と音楽性のバランスが取れれば、アマチュアでもかなり行けると考えている。そう思っていなければ、楽しい会のような活動はしない。
思い込みは誰にでもあるが、頭を柔軟にして、そうならないようにして欲しいのだ。その為には、学校で勉強するのと同じ様に音楽にも勉強が必要であり、努力し、理解しなければ多くの可能性や展開は期待出来ない。そして、気楽に人にものを訊くのは失礼だと分かるべきだ。只で情報を取ろうとするのは、甘えだ。友達ならともかく相手がプロなら“訊く事”は、お店に行って何かを買うのと同じだと知るが大事。さらには、レッスンは物を買うのとは違うと認識すべきだ。
“掲示板”と称するものは、メールよりもっと質が悪い。匿名性はもちろんの事、失礼の度合も格段に上がると私は考えているのだ。世の中には、苦労しないと手に入らないものが多くある事を知るには、こうしたものが無い方が良いと思っている。念の為に言って置くと、もちろん掲示板が必要なHP.を否定している訳では無い。HP.の性格が違うからだ。
さて論が尽くせたとは思わないが、これで表題の件は説明出来ただろうか。