ウィーン風(?)

何年か前の事を、思い出しながら書く事が私の場合よくある。怠け者の所為もあるが、判断するのにひどく時間がかかるのも原因なのだ。時折その事を思い出しながら反芻している。何度も何度も考えて、言葉でハッキリ説明が出来る自信が出来てからでないと書けないと思うからだ。そう出来ずに半端になる事がほとんどだけれど(苦笑)。

杉本さんのレッスンを聞いて2年以上経つが、ようやく続編を書く気になった。そして書こうと思う事は、あの時杉本さんがこの様に言われたところだ。本当はもっと沢山話されたのだが、ここでは簡単に。

「音と言うのは、一度に大きくならないんです。スタートして放物線を描く様に、極くわずかだけれど時間がかかる。その瞬間を捉えて音程を合わせるのが、向こうの人は上手いんですよ」

さて、私は菅原先生に最初についた時、デトモルトから帰られたばかりの「先生の立ち上がりの良い音」にビックリしたものだ。だから立ち上がりのいい、思い切りのいい音が今でも好きだ。確かに、立ち上がりのいい音は、合わせるのに相応しい音色をいつも出せなければ「音程」に問題があるかも知れない。しかし、それは音色で解決出来るのでは無いかと考えているし、それは今でもそう思っている。そして、その事がヴィヴラートの必要性とも絡んで来るのだ。音に幅を持たせると言う意味で。

ウィーン・フィルの管楽器は、最後までヴィヴラートを拒み続けたオーケストラである(無論、現在ではここもヴィヴラートをかけている)。コンチェルトを吹く時でもその傾向は強かった。ファゴットの音色など、かつては確かに必要が無かったと思う。(独自の)音色の良さだけで、効果を上げられたからだと思っている。「放物線状」の発音は、音程を合わせるだけで無く、ファゴットの音色を作るのに有効だったのではあるまいか。

ところで、ウィーンフィルの音は柔かい「世界一」と評論家などは一様に言うが、本当にそう思っているのだろうか?。私は、あのヴィーナー・オーボエを「柔らかい音」と感じた事が、全くと言っていいほど無い。それに引き換えホルンは柔かい響きだと思うが、ペーターダムだって驚くほど柔かい優美な音がする。そもそも世界中のオケで「俺は世界一堅い音を出してやる」と思っている人などいる訳もない。私は長くこの事を疑問に思っていた。ウィーンの音が自分には分からないのだろうか、と思った事もある。でも、カラヤンの指揮したブラームスの3番は本当に良いと感じたし、どうにも気分が収まらない話だ。

言うまでも無い事だが、ウィーンと他の地域の比較対照に限らず、ドイツにもこうした違いが存在する(世代の差もあるが)。杉本さんが、アウクスブルクのテアターにいらした時の事を話して下さった事がある。と言うより奥様がおっしゃったのだが。

「アウクスブルクのテアターにいた時なんか。毎日凄い顔して帰って来たんですよ。あそこのオケはごつい音がする、と言って。政治的状況から、またウルムに戻ったんだけど、ここは音の出が柔かいので居心地が良い様ですよ」

つまり、頭から何時でもガーンと来る音がお気に召さなかった様である。先日もあるプロの知り合いと話をしたのだが、誤解を恐れずに簡単に記せば「最近はベルリンでも昔の様な(独特の)音がしなくて詰まらない。どこのオケも軽くなって、まるでアメリカの亜流の様だ」と言った事だ。もちろん極論ではあるが、確かに上手くなっているのだが個性が弱まっている気はする。その中でウィーンが特徴的なのは、オーボエとホルンだろう。私は先に述べた様に、オーボエの音が「柔かい」と感じた事は無い。むしろ世界一強い音だと思っている。しかし、それゆえに出だしのタンギングに、杉本さんの言われる様な繊細さを感じるのだ。それにヴィーナーワルツは象徴的だ。脚の運びに合わせるのには、こうした気遣いは常に必要だろう。私の先生の一人であるフリッツ・ヘンカー氏は音が大変に柔らかく、いかにもオペラのファゴット奏者だった。ところが先生(ハンブルクの人ですが)のミュンヘン・バッハ管弦楽団で演奏されたバッハの「結婚カンタータ」を、あるアマチュアのオーボエ吹きが「あの"ごつい"ファゴット」と言うのを耳にして唖然とした事がある。確かにそうした聞き方も出来ると思う。タンギングする音は「超」が着くほど明確だったからだ、常に。

つまり、ウィーンの音の秘密は「音」そのものより、むしろ「音の扱い」に起因すると思われるのだ。そうした表現が柔かいのだ。こうしたやり方は、古楽の弦楽器奏者のやり方にも似ている。そして、これが発声してしばらくしてから最高潮に達する「演歌」などと同様に、日本人の好みに合ったのでは無いだろうか。それは「S」や「R」が濁らないウィーン(オーストリア)訛りと、子音を強く発音しない日本語と、何か共通するものも感じる。杉本さんの言われる「放物線に似た音の出だし」はこうした事を示唆している、と私は思うのだ。

ただアメリカンポップスやロックが主流になって来た時に、こうした好みも変化して来た様には感じるが。

この件に関しては、このくらいで止めて置こうと思う。毎度そうだが、切りが無い。音楽に手を染め、いろいろ考えるのは、果てない海原に乗り出す小舟の漕ぎ手になったようだ。さて、同様に漕ぎ出してしまったあなたは、どう感じられるだろうか。

 

トップページへ