モーツァルトの協奏曲

モーツァルトの協奏曲の冒頭部分は、ファゴット吹きに取って永遠の課題とも言えるほど難しい。格好がつかないのである。バッハもそうだけれど、どんなやり方をしても「未だし!」と思える。従って下手では無いと思えても、実に巧い最高!と行かない。

今回杉本さんが、どんな事を言って下さるのか実に興味があった。

受講者はT君。東北大学のOBで、興ののった時はよく(意味無くと言う事も多いが)歌うファゴット吹きだ。彼が冒頭の主題をを吹いた時、杉本さんはこう言われた。

「2小節と3小節目の4分音符は、終わりの音であって始まりの音なんです。」

なるほど、そう言う言い方も面白いなあ、と思った。自分が教える時は、こう言う。「2小節目、3小節目は新しいフレーズが常に始まると思って」と。結果的に同じ事を言ってはいるのだが、聞いた人によっては違う取り方はするだろう。

なるほど、冒頭部分をドアの連続だと思えば、入口でも出口でも良いと言う事は成立する。多少あいまいな感じもするけれど面白い。それに説明としては良く分かる気もする。

「終わりの音であって始まりの音」と言うのは、実はタンギングの要諦と同じだ。タンギングは必ず音を出す為に舌がリードに載る。この間は音は出ない。つまり、舌で切らないと音は出せないのだ。息を止める事でしか音を切れない人は、常に余計な動作をする事になる。

従って舌で切ると言うと、抵抗を示す人が少なく無いのは実に妙だ。そうした人も、早いタンギングであれば息で切っているはずは無い。要するに自覚せずにやっている筈なのだが、一度考えて欲しいものだ。こんなつまらない事でいさかいが起きることがままあるのだ。

響きの悪い講堂や体育館等で練習しているブラスバンド出身者にこの傾向が強いのかも知れない。しかし、音の長さを正確に、思った通りに吹くにはこの方法以外は無い。

4分音符、8分音符、16分音符更に3連音符の長さを正確に「息」で切れるだろうか?余程肺が特殊な人でなければ無理だろう。注意して欲しいのは、何時もそうしろとは言っていない事だ。世の中にはあいまいな表現も必要だから、時に応じて息で切る事も必要だろう。しかし、基本は「終わりの音であって始まりの音」であり、それは舌で切る事を意味する。

モーツァルトに戻ろう。杉本さんの言葉で私の中に或るイメージが湧いた。音楽は建築物に似ているとよく言われる。さすれば、この冒頭部分は大手門から始まる「城門」に似ている。幾重にも連なる門を通って本丸に達する訳だ。なかなか良いかも知れない。余りに異なったイメージが明確に想起されるのも問題ではあるけれど、イメージし易い言葉を使う事もレッスンには大切だからだ。私はどちらかと言うと、特定のイメージに結び付かない様に具体的にレッスンをする。音楽は個人が考えるもので、強いイメージを与える事は自分の影響が強すぎると思うからだ。もっとも、レッスン中は吹いて聴かせるから影響がもっとあるかも知れないけれど。

この冒頭部分は、所謂シンコペーションで書かれている。しかし、ジャズの様なシンコペーションは必要は無い。1拍目にはもともとアクセント(ダウンビート)がある訳で、弱拍(アップビート)にアクセントが加わっても1拍目から移る訳では無く、2つの音が「同じ程度の強さになる」のが当然だと思う。

亡くなった三田平八郎先生のレッスンを受けた時の事を鮮明に思い出す。当時、楽譜の版など何も考えていなかった私は、Musica Raraの譜面を持って行った。この版は最初の音にスタカート、次の音には御丁寧にもアクセントまで添えてある。当然ジャズの様な強いシンコペーションで吹く事になる。三田先生は何遍も私に吹かせ、冒頭の音の長さが適当では無い事を言われた。私は訳が分からず言われた様にしているつもりでも、目から来る情報は強くどうしても先生の言われた様に出来なかった。要するに理解に至る知識も思考回路も無かった訳だ。

トゥーネマンが初めてモーツァルトをレコーディングした時、冒頭8小節を一つのフレーズの様に演奏した。つまり一つの門というかトンネルの様に。私はへーと思ったし、良いとは思えなかった。果たして彼はほどなく2度目のレコーディングをした。実に常識的で良い演奏になった。トルコヴィッチも4回レコーディングしている。彼の場合はどんどん離れて行くようだけれど、私には最初のものが最も好ましい。

それにしても、こんなに何度も録音したくなる曲が他にあるだろうか。こんな事をしたら面白いかな、そんな事もやってみようかな、と言う冒険心も掻き立てるが、結局元に戻るのが一番かも知れないと言う「強烈さ」をこの曲は持っているのではあるまいか?シャーマン・ウォルト、ウィラード・エリオットは実に60歳過ぎに録音を果たした。正直言えば、若い時に録れば良かったのにと思ってしまうが、両者ともこの曲の恐ろしさを良く知っていたからだろう、と思うと畏敬の念を覚える。音楽が分かった時は肉体が黄昏る人間の宿命は、管楽器奏者には特に著しい。

私もオーケストラ伴奏で2度吹いたが、またやってみたい。我々はモーツァルトと言う天才の凄さをこうして知って行くのだ。ファゴットを吹く皆さんには、若い時に練習を沢山してこの山の頂を早くから目指して欲しい。それが、実に楽しい作業である事を分かって欲しい。他にどんなに面白い事があっても、最後はこれ(演奏する事)が一番だからだ。

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