これは、1988年に菅原先生とドイツに行った時の写真です。ソウルでオリンピックのあった年なので、よく覚えています。この時引っ越しをして、ドイツにいる間に住所が変りました。男が引っ越しの役に立たないのは本当です。

ヘニゲ先生はもう引退しておられましたが、デットモルトのファゴット科教授のみならず、ドイツ音楽界の巨星でした。我が国にとっても菅原先生、岡崎さんなど名だたるファゴット奏者を育てた恩人です。この時、御歳81。耳が遠くなっておられた以外は実に元気。車の運転のマナーが悪い若者と本気で喧嘩をするくらい。その上食いしん坊で、ミシュランガイド片手にレストランを探して、旅を楽しんでおられました。この時の旅は、菅原先生と私を伴い、ビーレフェルト(ハノーファーの近く)の自宅からトリアーに遊びに行くものでした。これは途中、コブレンツに立ち寄り、ラインの近くで撮った写真です。1998年に亡くなられたのですが、強烈な印象が残っています。私の宝物の写真です。

ワルターさんの工房です。(ドイツ旅行記も参照下さい)

ワルターは英語読みでドイツ語ではヴァルターです。プライデスハイムと言う、シュツットガルト郊外の町にあります。車が無いとちょっと行けません。いつも杉本さんに連れていってもらうんです、通訳も兼ねて下さるし。素敵な工房で、自宅を兼ねています。娘さん夫婦と住んでいて、託された楽器の修理は娘さんが主にします。この娘さんが、何せ25歳以下の連邦の技術コンペで(1996)優勝したそうですから安心です。2000年には年齢制限無しの部門で1位になりました。血は争えないものです。お陰でヴァルターさんは楽器製作に専念出来るそうです。

HIBの時代から数えると5回以上は工房に行っていますねえ。いつも歓迎してくれます。新しい楽器の試し吹きをするのは楽しいものです。

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