1. 学生オーケストラ気質の今昔と私

学生時代の事は誰でもそうだろうけれど、どんなに月日が経っても昨日の事の様に思えるものです。だから最後の定期演奏会が、はっきり思い出せます。1974年11月12日、杉並公会堂。グルック(ワグナー編)「アウリスのエフゲニア」序曲、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」(独奏・長谷川まゆみ)チャイコフスキー「交響曲第5番」。愉しい演奏会でした。当時、学生トレーナーも兼ねていて、しゃかりきになってオケから良い音を出そうとしていました。当時の録音を聞くと、今ならこうしたのに、と言う反省もありますが、それより自分のホームポジションに戻った気がします。ここに、自分の生の音楽がある、そんな気持ちです。それに、この時のソリストの長谷川まゆみさんと、毎年松戸で演奏会をするなんて考えてもいませんでした。

当時の学生はみんな貧乏。自宅から通っている学生以外は四畳半が大部分、三畳の部屋に住んでいる奴もいました。三万円あれば一ヶ月暮らし、上手くすれば多少の貯金もできました。五万円の仕送りがあればブルジョアと言われたものです。学校の為にアルバイトしているのか、アルバイトしたい為に学校に籍があるのか分からないほど、生活は楽ではありませんでした。楽器を買うのに四苦八苦。若いのと、みんな同じだったから平気だったのですね。今の学生がみんな豊かな生活をしているとは思えませんが、電話やコンピュータを持っているのが普通ですからね、やはり違いますよ。我々が欲しかったのはテレビでした。白黒の。ジュネスでトップを吹いてもFMは聴けますが画像が見られなかったので、後輩の家に行って見せて貰ったものです。今ならVTRに取って見るところです。

私も御多分に漏れず、と言うより大学の後半は生活費も授業料も稼ぎ出さなくてはならず、大貧乏でした。そんな中で親が無理をして、入学時に買ってくれたクルスペ(ヒューラーの別ブランド)が唯一の宝でした。他の仲間たちも、そこまででなくとも楽器を手に入れるのに相当の苦労をしました。それだけに、音楽をする、楽器を演奏する、オケをする事に貪欲でした。授業に出なくともオケには欠かさず出るのは当たり前。当時の仲間も同じです。演奏会は平日の夜が普通ですから、当然授業はないがしろです。今は、逆が普通でしょう。念の為ですが、勿論それが良いと言っているのではありません。

私も含めて、一度はプロになりたいと思わなかった人間はいなかったでしょう。なれるかどうかは、宝くじの様なものです。運がないと、才能がいくらあっても駄目です(元ウイーンフィルのカール・エールベルガー先生もそう言ってらっしゃいます)。当時、私が入学した年に卒業予定だった、松山(太樹)さんと言う先輩がいて部室に誰よりも早く来て、最後までコントラバスをさらっていらっしゃいました。結局、三(四だったかも)留年して、その後さらにその生活を続けられましたが、現在は名古屋フィルで弾いておられます。なあんて話はともかく、みんなオケをやる以外の楽しみは本当に無かったのです。酒を飲む事も多くは無く、行く人はいってましたが、今はロッテリアになった飯田橋の名曲喫茶「デュエット」に入り浸ったものです。話は、音楽の事、楽器の事、オケの事ばかり。最近の学生は、むしろその話題をあえて避けている様ですね。私には、それが寂しい。他に楽しみが多いせいかも知れません。この傾向はもう十数年前からで、日本がバブルに向かった時期と暗合しています。しかし、バブルの崩壊後、音楽をもっとしようとする傾向が、また出てきた気がするのは心強いです。我々の絆が音楽に他ならない事を覚えて置いて欲しいのです。

私の周りに集まってくれるファゴットの諸君など、実に熱心なアマチュア演奏家です。心ならずも仕事に追われて出来ない人もいますが(仕事を辞められても困るものねえ)、志は素晴らしいものです。仕事に疲れたプロより、遙かに良い。私はと言うと、そういった人たちに、より良い、楽しい、さらに愉悦快楽に至る音楽に肉薄できる場、時間を提供出来るか?と我が身に問いかけているのです。

楽器が少し人より上手い事だけでは偉くも、立派でもありません。それを通じて「(言葉にならない)何ものか」を知る事が重要、それが「娯楽」と「芸術」を分けているのです。勿論、グレーゾーンはどこにもあります(殆どはそこから抜け出ていないのでしょう)が、パチンコとファゴットを吹く事は「同じ」楽しみでは無い筈です。

演奏をして人に聞いてもらう事は演奏家にとって大事ですが、共に演奏して互いに理解し通じ合うのは更に大事な気がします。現代は演奏家の時代。アマチュア演奏家の増加振りがそれを証明しています。しかし、言いたい事ばかりで、人の話を聞かない時代になり、その人たちは聴衆になりません。しかし、何事もバランスが大事。聞く事も分かって貰わないといけません。今やプロの仕事は偉そうに「演奏会をするから聴きに来い」では済みません。私は新しい演奏家と聴衆(アマチュア演奏家)の関係を、少しずつ探っている最中なのです。

1999.5.19 記

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