註/臨時記号以外の調号は省略してあります。

 ベートーヴェンの第7交響曲をめぐって

6/8拍子の曲は、6/8拍子自体が2拍子と3拍子の性格を併せ持っている事に混乱の原因があります。ベートーヴェンの交響曲第7番は昔から問題の多い曲です。これを、そのリズム構造から解き明かしてみたいと思います。

譜例1は第1楽章練習番号Cです。この後ろのリズムが問題なんですね。特にこれが続いて出てくると問題は大きくなります。このリズムをどう考えるかで、他の曲でも同様ですが、音楽は決まってしまいます。

故・三田平八郎先生が何度も言われておられました。

「日本人はこのリズムを演奏すると、後ろの16分音符に引っ掛ける様に吹いてしまうんだ。そうすると外国人の指揮者は『重いから、もっと軽く』と言うんだけれど、言われると益々後ろに引っ掛けてしまう。終いには副付点付き8分音符+32分音符の様になってしまう。何度もやっていると指揮者が根負けして諦めてしまったものだ。‘軽い’という感覚の相違を感じたものだよ」

譜例の2は1と同じ小節のファゴットです。二つを合成すると譜例3になります。これを分かり易く表すと3のb、更には3のcの様に書くことが出来ます。そして、3のdの様に分けると、これは第4楽章のリズムです。そのリズムを倍に書くと、今度は第2楽章の冒頭になります。そして中間部分で3連音符が始まると譜例6(102小節)の様に第1楽章と同じリズムが現れてきます。第3楽章は6/8が半分になったようなものなので言うまでもないのです。今までの話とずれますが、ベートーヴェンが巧みにリズムを用意している例として、譜例5をあげましょう(Vcのパートは次の小節ではObに変わります)。聞き流しそうな所ですが、パートを合成すると5のbに、記譜を倍にすると5のcです。するとトリオのホルンのパートが演奏するリズムが現れて来ます。こちらはタイで結ばれてはいますが、オリジナルの変形と見て良いでしょう。

この様に各楽章がリズムで結びついている事が理解されなくてはなりません。こうして考えて行くと、冒頭で述べた付点8分音符の次の16分音符が、次の音に引っ掛ける様になり付点8分音符が勝手に伸びると、如何にまずいか理解できると思います。この曲は2拍3連のリズムだけで出来ているのです。譜例1のリズムが2つ繋がった時のアクセント位置は1音目,4音目、2音目、5音目の順です。引っ掛けて演奏する人には2と5の代わりに3音目,6音目が強くなってしまいます。これではベートーヴェンの仕掛、2拍3連(譜例8参照)が浮かび上がってきません。236小節から250小節に至る同じリズムの連続など良く分かると考えます。

こう言った事に注意しないと、何でもワルツの様にしか解釈できなくなります。もちろん、1楽章でもObのカデンツァの様な動きなどは、少し自由でも良いと思います。チャイコフスキーの5番なんかも。そこはそれ柔軟に対応と言う事もね。しかし、交響曲は建造物ですから土台がしっかりしていないと崩れます。

同じベートーヴェンの第九の第2楽章も同じリズム構造です。ファゴットのソロで2番に三拍目にユニゾンのhが書いてあります。何故でしょう。これは1番ファゴットがこれで規制されているのです。そうでなくては、この2番のhの意味がありません。無ければ合わせるのは簡単になりますし、1番も自由(気まま?)を獲得出来ます。しかし、このhがあるので1拍目が伸びては2番は合わせようがありません(不可能では無いが)。1番が正確に3拍目を演奏しないといけないのです。話は違いますが、私、アマオケでリズムが悪いと言われたことがあります。第九をステリハ、本番で頼まれたときです。皆さん引っ掛けるのがお好きな様で、その悪いリズムに抵抗するだけで疲れました。その上、下手だと思われたのでしょうねえ。それも、2番を吹いていた娘に言わせるんだから質が悪い。その子にはよく説明しておきましたけど。音楽は「赤信号もみんなで渡れば〜」じゃ無いと思うけど。実際アマチュアの思い上がりは困ります。何でも知っているつもりで、ものを言うのは結局、誰のためにもなりはしないのですから。「音楽はそれほど底が浅くは無い」と謙虚に考える自分無しには、確信のある演奏も出来ないものです。

私は交響曲第7番は実験的要素の強い作品では無いか、と思います。「運命」で一つのモチーフから交響曲を構成した様に、7番(から以降)では2拍3連をどこまで追究できるかがテーマだったのでは(交響曲第8番にも終楽章には2拍3連がモチーフになってます)?。結果としてワグナーが「Apotheose des Tanzes(ダンスの入神)」と呼ぶほど、入り組んだリズム構造になったのでしょう。何せ2拍子と3拍子を行ったり来たりするんですから。しかし、専門家でも分かってない人は多いですねえ。一緒に演奏した人で、このリズムが出ると何時も(音楽が)ウィンナワルツを踊っちゃう人がいました。それでは、素朴に演奏する様に書かれた作品の意図が伝えられないと思いますね。ワルツにしても、素朴なものだってあるのにねえ。

序奏にも色々な仕掛がありますが、各要素を茫洋として示し、アレグロの主部で収斂し、明確にしている様に思われます。言いたい事はまだまだありますが、全てをここで論ずる訳にもいきませんので、このくらいにしておきます。考えてみて下さい。

スコアを見る時は、色々な要素を整理加味しながら考えて行かないといけません。音楽の楽しさ深さもそこに尽きます。音楽をする、解釈する楽しさを自分なりに見つけ、独善に陥らない為に出来るだけの情報は集めて下さい。アマチュア(プロでも!?私もそうかも)で基礎無しに(意味無く)高度の知識だけを振り回す人も多いので、気を付けて下さい。単なるマニアは、真の演奏から最も遠いところにいるのですから。

これはリード倶楽部会報から転載、加筆訂正しました。

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