今回の写真はここにあります。
八日目
最終日だ。今日も雨だ。予報では午後に上がるらしいが、旅先の雨は気が塞ぐ。20時45分のANAで帰国するのだが、時間があるのでヴィースバーデンWiesbadenを見に行く。ここにはHeckelの本社があるのだが、連絡もしていないしそこまでの時間も無い。私が今回行きたいのは、前から興味があったネロベルクバーン(Nerobergbahn)というケーブルカーに乗りたいからだ。何故かと言えば、世界で唯一の水の重さを利用して動く車両だからなのだ。実にエコである。またヴィースバーデンはカジノとスパでも有名なので、街も見たかった。今まで来なかったのは、何せヘッセン州の州都にも関わらず交通の便が悪かったからだ。しかし最近はICEも来る様で随分便利になった様だが、州で一番大きい街であるフランクフルトとはえらく違う。またマインツもラインラントプファルツ州の州都ながら地味だが、この州では一番大きい街だ。お隣同士なので案内図も両方載ったものが手に入る。私もホテルで手に入れた地図を持って行くが、この地図にはネロベルクが載っていなかった。
まずはこの旅行で最後の朝食をとる。このホテルは立派なレストランがあるので、そこが朝食堂だ。流石に今までのホテルと比べて上等だ。ハムソーセージは6種類あり、スプレッドやチーズも種類が多い。早速料理を取り始めたが、ミルクが無い。「ミルクが無い」と言うと若い奇麗なお姉ちゃんが容器に補充して、それからにこやかに持って来てくれた。ドイツ人には珍しい愛想の良い子だった。ちょっと朝からいい気分だった。昼近くまでPCで調べものをしたり、休んだりして過ごす。このホテルは廊下が入り組んでいる所為かWi-Fiの入りが悪い。ダウンロードの途中で切れたりした。これは悪口に書いて置こう(笑)。良い時間になったので、荷物を預けて出かける。ドイツのホテルでは、どこでもチェックアウト後も客の荷物を預かってくれるが、やり方は色々だ。一番安心なのは、地下の倉庫に入れてくれる所だが、1階でも錠があったりレセプションの中などは安心だ。このホテルでびっくりしたのは、レセプションの横にある誰でも自由に出入り出来る倉庫に自分で入れるシステムだった事だ。まあ通常汚れ物やお土産品くらいしか入れてない訳で、それでも充分と言えなくもないので、持ち歩くには重いのでPCを入れてしまった。まあ大丈夫だろうとは思ったが、心配でもあった。
運賃はヴィースバーデンまでは2EUR60だ。REかS-Bahnである。昔、このふたつの街の間を専用のICが走っていた。今はドレスデンからマインツ経由でICEが2時間に一編成ある様だ。運賃は8EURだが、時刻表で見るとREやS-Bahnの方が速いのだから可笑しい。RE(地域急行)に乗って出発だ。この辺はライン川とマイン川の合流地点だが、この線はラインの鉄橋を渡る。中々の景色だ。ほんの15分足らずだが、隣の州に来た。小降りになったがまだ雨が降っている。駅前の地図でネロベルクバーンの位置を確認。PCで見たがプリントアウト出来ないので、この地図をカメラに撮っておく事にした。実はこれが功を奏し、迷子にならずに済んだ。
駅前は広々としていて開放感に満ちている。街の中心地はこのまま駅前通り(Bahnhofstra.)を真っ直ぐ行くだけだ。雨は相変わらずだが、広い道と言うのはそれだけで心躍るものだ。ケーブルカーまでは2Kmくらいだとあったが、初めての街だから遠くに感じるかも知れない。城前広場(Schlossplatz)に着くと人も増え、賑やかになって来た。ここのテアターは上岡敏之氏がGMD(音楽総監督)をやっていた(今はルール地方のWuppertalに移った)ので、見たかった。その向かいはクア(SPA)で、コの字型の広場の中心にはカジノがある。温泉と賭博場と劇場は正にこの街の象徴で、それが全て並んでいるのは興味深い。
さて、タウヌス通り(Taunusstr.)と言うのを行けば目的地に着く筈なので、そちらに向かう。途中の小さな公園には温泉の泉(重ね言葉で気が引けるが原語ではKochbrunnen/ゆで卵はGekochte Eierなので、調理出来るほど熱い泉と言った意味)があり、湯気が出ている。熱海を彷彿とさせる。ここからは一本道なので、とにかく歩く。これが結構な坂で、息急き切って歩く事になった。別に寂しい所ではなく、お店も並んでいる。途中で「NEROBERG」という道路標識があるが、要するに歩いても行けると言う事だろう。それにしても登山電車に乗るのに山登りとはねえ。途中で細長い公園が始まる。両側の道でも良いのだが、この中を歩く。彫像などもあって散歩に良さそうだが、相当くたびれた。この辺はネロタール(Nerotal)と言うらしい、「ネロ渓谷」あるいは「ネロ峡谷」と言う意味だが、東京の奥沢渓谷とか等々力渓谷を想像してもらうと良いかも知れない
ようやくネロベルクバーンの駅が見えた。ここまで1時間ほど。中々味わいのある建物だ。営業しているのは4月から10月とあるので、動き始めたばかりだ。軌道の全長は438mで最大斜度は15度くらいらしい。内装は木で出来ていて何か楽しい。料金は往復で3EUR30だからそんなに高くはない。チケット売りも運転も一人でやっている様だが、販売機もある。当然上下二編成あるから二人でやっているのだろう。早速乗り込む。
乗り込んで5分くらい待っていると、動き出した。実に浮世離れした速度で、危険は全く感じられない。途中でもう一つの車両とすれ違う。ヴィースバーデンの景色が車窓をよぎる。ものの5分で頂上の駅舎に到着。帰りの時間を訊くと、15分おきに出ていると言う。山の上には金ぴかのギリシャ正教の教会もあったが、余り興味も無いのでとんぼ返りしたが景色は楽しめた。帰りはドイツ人の客が一緒で、カメラで色々撮っていた。下に降りると重しの水を派手に流した。この頃には雨も上がり、少々蒸し暑いがいい感じであった。もう数時間早く天気が回復していればなあ。
違う道で帰ろう思い見当を付けて歩き始めた。この辺は家が立派だ。金持ちが多いのだろう。どこの街でも金持ちは高台に住むと相場が決まっている。停まっている車もメルツェデス、BMV、アウディばかり。そう言えば、ブライトコップフ(Britekopf und Hertel)の本社もこの近くだ。などと思っていたらI am lost! 道が曲がっているし、凄い坂で訳が分からない。知らない間に随分登っていたのだと分かった。住宅ばかりなので、景色では見当もつかない。そうこうしていたら、来た道(Taunusstr.)に出た。目標とは違ったがここからは分かるので、安心して歩く。途中で方向を変えると旧市街の教会通り(Kirchestr.)と言う所に出た。嬉しい事に繁華街でデパートもある。早速トイレを借りたが、今度はおばちゃんがいなかったので無料で使えた。所々引っかかりながら駅に向かう。天気もすっかり良くなり、暑くなって来た。来て以来ずっと寒かったので、何か嬉しい。
少し時間があったので、駅の中でブレッツェルを買い、持って来た水を飲みながら小腹を満たす。マインツに戻り、ホテルで荷物を取りに行く。チェックインした時と同じ女の人が、相変わらずぶっきらぼうにしている。バゲッジも中身も無事だったが、やはりもう少しセキュリティー面は考えて欲しいなあ。預かっても良いけど責任は持たないよ、と言う事なのだろうが。
S-Bahnで空港に向かう。マインツはフランクフルト空港に近いとはいえ、フランクフルトからの3倍近い時間が必要だ。それでも30分足らずで到着するのだから便利だ。途中にRuesselsheim Opelwerkという駅がある。これはオペルの工場の中を通って行くのだ。このラインはライン川も渡るしマイン川との合流点もあり、乗っているとそれなりに見るものがある。
荷物が心配で早く戻ったため、空港にもカウンターが開く1時間前に着いてしまった。今日は暑い。時間もあるので、厚手のコートを薄手のコートに換える事にした。寒かったので、薄手のものは無駄な荷物になったと思っていたが、ここに来て役立った。カウンターが開かないとバゲッジを預ける事が出来ないので、地下の食堂に行って何か食べようと思う。地下の駅(Regional Bf,Tief)には最近来ていないが、中国飯店と言うレストランやバッファローステーキの店、ドイツ料理屋など結構あるからだ。そう言えばブレッツェルを食べたきりだものなあ。
地下に降りてびっくりした。2004年に来た時と、まるで様子が違う。まず全体が広くなっている。マーケットは以前もあったが、大きくなった。それより何より、レストランが無い!その代わり、フードコートが出来ていた。しかしレストランならテーブルに座って料理を食べ、ヴァイツェンでもやりながら1時間は過ごせるが、ここでは無理だ。でもせっかくなので、タイ料理屋の飯を食べる事にした。鶏肉と野菜の炒め物を御飯の上に載せた中華丼の様なものだ。紙の丸い容器に入れてくれるので、それを近くのテーブルに持って行き持参していた水を飲みながら食した。なかなか旨い。見ればこの店が人気一番の行列店の様で、他には行列が出来ていない。パイロットやCAの制服姿のドイツ人もいる。
こうして食事をしても、まだカウンターが開くまでには20分程ある。結局カウンターの前の椅子に座り、ICプレーヤーで音楽を聴きながら過ごす。カウンターが開くと早速チェックインするのだが、前もってPCから申し込んでいたので、実は勝手にされている。つまりここでするのは荷物を預けるだけだ。なので、さっさとしたかったが、日本からのツアー客が席のチェンジでやたら時間が掛かっている。787が飛ばなくなった所為だろう、私は既に席を決めているので良いのだが。こうした変更手続きにドイツではやたら時間が掛かるのを知っているから、諦めてはいる。しかし英語が分からないと、添乗員の助けを借りてもドイツ人以上にもたつくので少々いらつくのも確かだ。面白かったのは居合わせたCAが気を遣って話しかける所だ。私にも話しかけて来たが、日本人ではなかった。東南アジアの人の様だったが、こうした気遣いは嬉しい。ようやく自分の番が来ると、担当のドイツ人があれと言う顔をした。既にチェックイン済みだったからだろう。チェックインした時に搭乗券をプリントアウトするのだが、旅先なので出来なかった、と言うともちろんNo problemで搭乗券を出してくれた。荷物を預けたし2時間あるので、久し振りに見物しようと、スカイラインに乗り第2ターミナルへ行く。昔はANAもこちらだったので、よく使ったものだ。制限区域に入ると革張りの寝椅子があったのだが、今はどうだろう。何れにしても制限区域に入る訳にはいかないので、適当に見回って戻る。
第1ターミナルで制限区域に入る折に、ちょっとトラブった。金属探知機が反応したのだ。通る時にベルトは良いと言われたし、コインも時計も出し、PCもバッグから出したのだが、警告音が鳴った。ボディーチェックされ、靴の底まで調べられた。当たり前だが無罪放免だったけれど、未だに何が何故鳴ったのか分からない。アンクルブーツだったので、そのファスナーが反応したとしか考えられないが、敏感すぎだぜ。この次は裸でくぐろうか(笑) その後は残ったコインを使う為にビールを飲んだり、お菓子を買ったりして1セントまで減らした。さすがにこれは使えないので、諦めて出発ロビーのテーブルでPCを広げ「旅日記」を書き始めた。
搭乗が始まると早めに席に着き、隣が空くと良いなあと祈りながら待つ。残念ながら孫を連れた老夫婦が現れ、ご主人が隣に。日本語を、しかも関西弁を話す奥さんはドイツ人で、孫娘はハーフの様だった。どういう家族構成かと、つい想像を巡らしてしまった。そうこうしている裡にドアが閉められた。前の席が2つそっくり空いている。移ろうかなと思ったら、そのご主人が「前が空いてる様だから、移りますわ(大阪弁で)」と言ってくれたので、目出たく2席使える様になった。それからは来た時と同様に過ごしたのだが、疲れていた所為か居心地は良くなかった。余り眠れない。座面がスライドするだけで、バックシートがリクライニングしないのはやはり辛い。偏西風の影響で往路より速いのは救いだが。今度来る時はビジネスを張り込むかなどと、考える。日本が近付くに連れ週末から始まる「管楽合奏は楽しい会?」の練習の事で頭が一杯になって来た。日常はもうすぐだ。
通常ここで旅日記は終わるのだが、成田の通関で珍しくバゲッジを開けさせられた。「テロ警戒特別?」とあったので、それかと思うが一人旅が目を付けられた様だ。私の前の老婦人もそうだったので、私の人相が悪かったからではないだろう。もっともバゲッジの内張りに仕掛けが無いかどうか調べていたので、麻薬か覚醒剤が疑われたのかも。女の係官だったが、疑いが消えると実に丁寧だった。珍しくバゲッジを台から下してくれた。通関を済まして出てみると、ユーロが10円も上がっていた。カード払いが殆どだったので、大分残った手持ちの現金を換えると1000円くらい儲かった。とは言え、カードの決済が怖い(実際平均で126円くらいだった)。帰りのスカイアクセス線まで時間があったので、取り敢えず儲かった分で蕎麦を食べた。やはり日本の食べ物は旨い。ついに旅も終わった。
ドイツから帰ると体臭が変わる様で、家の猫が暫く寄り付かないのも何時もと同じ。溜まった新聞を読み、写真や動画の整理をしたり、さて明後日から練習だ。本当に日常が戻って来た。