4月4日月曜日
ハイデルベルクへ
今日はハイデルベルクに行く。ハンスさんからメールへの返信がないが、今日の到着は分かっているはずなのでそれほど心配はしていない。
なんと外は雨だ。風もある。何はともあれ、最後の朝飯を食べに食堂(Fruestucksraum)へ。この飯も食べ納めかと思うと名残惜しい。ミュンヘン名物の白ソーセージも毎日食べられたし、パンも美味かった。値段を考えると全く良いホテルだ。
チェックアウトを済ませ、駅へ向かう。雨のミュンヘンも悪くない。ウルムを見物して行く予定なので、早めのICEに乗る。空いている。一等車に乗る事など日本では有り得ないが(東北新幹線のグランクラスは乗りたい)、ドイツでは別だ。レールパスが安いし、ほぼ確実に座れるしセキュリティーも良い。しかも今回のパスは20%offの特別料金で、Kさんと合わせて(ツインパスで)6日間で44400円!一人一日あたり4000円以下だ。1日分を使わなくても十分元が取れる。ドイツは鉄道の国なので、これが使えると便利この上ない。
ウルムに到着する頃から天候が回復して来た。ロッカーに荷物を預けて街に出る事に。最近のスーツケースは例外無く取手以外にキャリーハンドルが付いているけれど、本体の厚みが増す。ハンドル無しの鞄を買おうと思ってもまず見当たらない。しかしその所為で、昔なら二つ入った大きいロッカーに一つしか入らない。ロッカーは4EURなのだが、流石にくずさないと8EURはコインが無い。構内に両替機があるのだが、折悪しく故障中。已む無く、駅内のマーケットで水を買って小銭を作る。ウルムの駅は大きくはないけれど、小さいマーケットにフードコート、喫茶店など設備は整っている。
何とか荷物を預けて街に出ると天気は完全に回復し、ドナウに着く頃にはすっかり晴れてしまった。久しぶりのウルムだが、杉本さんももういらっしゃらないので、親しみは薄れている。とは言え、馴染みの景色はやはり良い。
ドナウの川岸を散歩し、ドイツ一古い漁師の家や祭りの時に使う木舟など見てから、例によってドイツ一高い(という事は世界一なのだが)ミュンスターを見る。近くにライサーと言う楽器屋さんがあり、よく楽譜を買ったので探したが見付からなかった。序でにCITIバンクがあったはずなので、チェックを現金化しようとそちらの方へ行くが、思っていた場所は別な銀行になっている。さては記憶違いかとも思ったが解せない。実はハイデルベルクで腑に落ちるのだが、それは別な機会に。これ以上探している時間もないし、Kさんに観てもらいたい所は行ったので、駅でコーヒーを飲み、次のICEでマンハイムに向かう事にする。
ハイデルベルクはICEも日に数本は停まるはずだが、ほとんどはマンハイムで乗り換える。ICで停まるものもあるが、時間が掛かるので時代遅れかなあ、乗り心地は良いんだが。
マンハイムでRE(Regional Express)に乗り換え、16時少し過ぎに到着。路面電車(Strassenbahn)で向かおうと思ったが、券売機が変わっていてゾーンが分からない。結局、旅行案内所(Infomation)で購入した。一人1EUR10であった。路面電車は5番系統しかビスマルクプラッツに行かないと聞いたので、どれでも行くというバスにした。しかしあまり良い決断とは言えなかった。揺れる上に混んでいるし、遅かった。しかもビスマルクプラッツに着いて歩き出すと、その後に来たであろう車両が到着した。あれが楽だったなあ、と思ったが時既に遅し。バスは通る道によって状況が変わるが、住民でもないと分かるものではないので仕方が無い。さてホテル・バイリッシャーホフだが、その目の前だ。実は、この日までバイエリッシャーホフ(Bayerischer Hof)だと思っていた。その名前の高級ホテルも何軒も存在するが、それにしてもうっかりだ。何度も泊まっていたが、「E」が一つ足りない事に初めて気が付いた。バーデンヴィルテンブルク州なのにとは思っていたのだが、千葉にあっても「東京」の付く類いかと考えていた。思い込みは中々解消出来ないものだ。
バイリッシャーホフ
ホテルに到着すると、華麗に変身していた。かつてのBayrischer Hofと変わらぬ外観だが、中は現代的で設備も良い。サーヴィスも良くなっていた。まずフロントでウェルカムドリンクを訊かれた。アルコール入りを頼んで一気に飲み、カードキーを受け取る。これに玄関の鍵も付いているのだが、それは23時を過ぎるとフロントに人がいなくなるからだ。24時間フロントが当たり前の時代に、建て替え前と変わっていないのが面白い。昔は酔っぱらいのコンシェルジュが眠りこけ、呼んでも起きなくて困った事が何度かある。そんな想い出に浸りつつ部屋に入る。実に良い部屋だ。インターネットもWI-Fiで自由に使える。実はネットブックを購入してから、無線LAN機能を使うのは初めてだったが、あっさりと認識して使える様になった。便利な世の中になったものだ。ドイツにいても日本の事が分かる。
暫く調べ物をしたり、溜まった写真をPCに移したりしてから長谷川まゆみさんに電話。出たのは同居人のHorstさんだった。10時頃に帰るというので、伝言を託し二人で街に出る。この間何度かハンスさんにメールをしたが、反応無し。遠くに出掛けたのだろうと思って、ハウプトシュトラーセをハンスさんの家の方へ歩いて行くと、びっくり。何と本人が横町から現れた。「おお!」と思わず抱き合う。ここはドイツなので、そんな事をしても恥ずかしくない。これからオペラの練習で、長谷川まゆみさんとも会うというので、練習後にいつものE.H.(住民の希望により名は伏せる)で待合せということにして別れる。どうも映画の様な事が起きるんだなあ。私も含めて、みんなよほど日頃の行いが悪いに違いない(笑)
その後聖霊教会まで行き、小腹も空いたので、マルクトプラッツの店でビールと牛のソーセージ(Rindwurst)で軽い食事。周りも旅行者ばかりだった。その後戻る途中でピザハットのカットピザを歩きながら食べ、ノルトゼー(Nortsee 魚の料理を出すチェーン店)では、以前には見た事の無かった持ち帰り寿司があったので思わず購入。6EURで握り4個巻物2本が入っていた。その味は?まあ日本でなら絶対買わないなあ(笑) ここまで締めて20EUR位だから、金を遣わなくてもドイツでは楽しめる事を分かってもらいたいのだ。
いつもの店
夜になり、待合せの店に赴く。久し振りだったので、多少の距離感に誤差(思ったより遠かった)はあったが約束の時間に到着。ハンスさんが一人で待っていたけれど、程なく長谷川まゆみさんとホルストさんも現れる。ホルストさんとは15年ぶりくらいだろうか、長髪の青年だったはずだが、すっかり髪は薄くなり、太ったし歳取った。うーん、ドイツ人は分からん。そういえば、若々しかったハンスさんも年相応になった。大きい病気もしたしなあ、仕方ないか。もっとも、私も彼らにそう思われている事だろう(笑)
食事だけれど、Kさんはグラーシュ(ハンガリー風のシチュー)、私はシュニッツェルコルドンブルー(薄切り肉にチーズを巻いて揚げてある。店によっては衣にもチーズを入れる)を注文。美味かったがとにかく量が多い。食べましたがね。Kさんは付け合わせのシュペッツェル(ドイツの短いパスタ)が食べられなかった。美味しいんですが、残念。
話は地震、津波そして原発の事になり、議論が高まるがドイツ語と日本語なので、咬み合わないし情報量が違いすぎる。今の政府の無策ぶりと放射線アレルギーには腹が立つが、ドイツでもハイデルベルクのあるバーデンヴィルテンベルク州では今年の選挙で緑の党が躍進した。ドイツ人の放射線アレルギーを利用した事は明白だ。チェルノブイリと「意識的に同じ」だという議論にしているらしい。政治の世界はそんなものである、驚くほどの事はない。結局我々が本当の事を理解するが大事なのだ。そして世界に発信しなくてはならないだろう。(8月5日になったが、今も同じ文章で表わされる状況にしかない。色々な所で放射線を正しく知ろうと言う論調も出て来たが、恐怖心を利用しての、為にする論や菅直人に利用され続けている。小松左京は死の床で「今回の事故での放射線で死んだ人はいない」と言ったとか。無理な避難指示で死んだ人は少なくない。残念だ)
話は尽きないが、夜も更けたので明日の約束をして別れる。この日はハンスさん達がご馳走してくれた。明日はケルンとデュッセルドルフを観に行く。