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芸美短談

essays

スケルトン考 1999年9月29日


imac以来といわれるこのごろのスケルトンブームですが、すけすけのカップラーメンや、使い捨てカメラ、電気コード に分別収集の透明ゴミ袋?と、エトセトラ・・・とあげたらきりがないほどですが、これを評して不透明な時代云々やらかんたら等と今更ここで 述べてもしょうがないので、ちょっと絵の世界においてどうかしらと考えました。

絵の具には当然の様に透明色と不透明色があります。確かに透けるという意味では透明水彩に代表される 透明色はスケルトンともいえますが、どうもあまりに物理的すぎますし、実際思ったほどすけすけの物でもなくて 、絵の中では書き手のテクニックで透明感のある絵に見せているわけですから、それ自体が透けている スケルトングッズとは言い難いでしょう。

お店でもお客さんから透ける絵の具をくれとも言われないし、当業界メーカーの方もまさかそうした発想に乗るとも思えないので スケルトン絵の具は無いのかな?。
さてしかし、絵の世界のスケルトンとはなんぞやと考えてみると、じつに遠い過去からスケルトンの発想は絵画の世界にあったことに 思い至るのです、其れは絵画に描かれている物其れこそがスケルトンといえるのではないでしょうか。
描き手の精神世界を表現する、時代を寓話的に描く、あるべき物を取り除いてあるいは変形して裏側を見せる 等々の手法はまさにスケルトンの発想そのものでしょう。
私たちは各時代から現代までそれらの絵画などに表現された物を見、そして様々な物を感じ取りました。 物事の本質や、表現されるべき物を見えるようにするそうした描き手の技術と其れを感じ取る 見る側の鑑賞眼があってのARTの世界。
ただワイドショー的興味本位やブームで、上辺の現象を見てすべてを理解したと錯覚するような 事無く、よく鑑賞する、観察する目を持ちたい物です。


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