芸美短談
essays
富山近代美術館展示作品の撤去についての裁判所判断について 2000.2.18
先日、富山近代美術館がある団体からの抗議から、その展示作品を撤去売却したことについて、
作者らの起こしていた買い戻し請求訴訟に対する、名古屋高裁の判断が示された。
内容は、多くの鑑賞者の妨げになるような抗議のおそれのあった作品に対して、
美術館側が作品の展示を見合わせたことは正当なこととの判断であった。
この裁判は、まず富山地裁では、一般に公開せず研究者向けにのみ公開するなどの方策
とれと言う物であって、それに不服有りと言うことでの2審であった。
この判決を聞いての私の率直な感想であるが、裁判所が美術作品の展示について
意見を述べることの妥当性があるのだろうかと言うことであった。
つまり、今回は昭和天皇を題材とした版画の展示をを政治結社が阻もうとしたことであるが。
私はそうした個々の作品の内容の背景が問題にされて、美術館の作品の展示という、
本来、美術館・館長・学芸員と言った機関・人々にゆだねられるべき事項に
裁判所が判断を下したことに驚きを禁じ得ないのである。
美術館が、あらゆる人に受け容れられるような作品のみを収集展示し、それによって
入館者の数が確保され、経営も安定し、設立母胎の地方自治体も喜ぶ、と言った
美術館のあり方が本当に美術振興や鑑賞する市民の為になるのであろうか。
日本ではまだ本当の意味での美術館・博物館の社会的認識が甘いと言わざるを得ない。
博物館の成熟した諸外国では、美術館・学芸員の独立した立場はきちんと確立され、
展示に対しての企画の責任の所在もはっきりしており、展覧会が成功・不成功と言った
単純な評価を受けることもない。
ましてや、外部の圧力からその展示を変更することはきわめてまれで、数少ない例としては
スミソニアン博物館のB29「エノラゲイ号」の展示くらいな物で、フランスのポンピドーセンターなど
常に批評の嵐にさらされて居るような状態である。
では今回の名古屋高裁の判断はどうであるべきだったかと言えば、美術作品の展示等については
司法が介入することを避け、双方の示談の仲介など中立の立場を取るべきであったとおもう。
そして展示作品が現実に撤去されてしまった事実について言えば。
富山近代美術館は美術作品展示についてその独立性を維持できなかったとの評価を
受けることに甘んじなければならないのである。
出来れば多くの皆さんのご意見をお聞きしたい物です。
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