大湯環状列石の謎 |
△大湯環状列石:B配石の目的は? そして………? (1) 配石はどっちを向いているのか (2) 表裏の認識 (3) 動かされてしまっていた? (H19.01.14)
△配石はどっちを向いているのか 人為的に造られたものには、必ず”正面”がある。たえそれが球体であっても真円 であっても、視線に正対する面又は位置が正面であり、反対側は”裏面”である。 自然物は、その成り立ちにおいて、正面とか裏面とかに関りなく生成される。表裏を意 識するのは、人間の一方的な思い込みなのである。 当該物体なり図形なりが、人間の側から見て、あたかも、 @安定感がある面 A人間の興味をそそる何かがある面 B当然にしてあるべき方向を向いている面 を正面(表とも)として認識してしまう。 @の例としては、据え置くことを前提にして造られた諸々の物体 − 料理や置物・家具 類、またテレビや自動車などほとんどの物 Aの例としては、相対する人からの愛情や恩恵、敵意 また会話や仕草(ジェスチャー)、 演技など。また風雨雷光など自分に迫り来る自然現象などもAに該当しよう。 Bの例としては、表裏であることが必須のもので、書籍印刷物、織物衣類、建造物などで、 通常私共の認識する看板や標識墓標、石碑なども、これに該当しよう。また地球上の人類 に対して、ほほば共通的に視線に入る天体の姿など。 このように、私共の置かれている環境の総ては、表裏を認識することを”自明の理”と して成り立っている。 すなわち私共は、意識的に表裏のことを考慮 − 無意識的に物には表裏があること − として物を製作し、物を認識していることになる。 ということになれば、大湯環状列石も表裏を考慮して配石されていなければならないこと になる。 |
しかし、前掲(及び前頁)の写真を見るかぎりにおいては、配石(特に、中心におかれ
ている立石)には”表裏の認識”があったのかなかったのか、判然としない。 (H19.01.14)
「別掲考察」@表裏の認識 A動かされてしまっていた? |
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