GLN 宗教を読む

宗教を読む / 人は神になれるか

◆有名無実
 有名無実とは、 「名ばかりで実質が伴わない・こと(さま)。」(goo 辞書)
 ”聖書の神”の実在性に関しては、 そのものの存在意義を必須的に認知すところの、 教義教典たる聖書の記述内容については、 時の流れと共に変容してきていることは周知のとおりである。
 例えば、旧約聖書を襲って新約聖書が登場したことでも、そのことが知れる。
 〔キリスト教と云う宗教とはの項参照〕
 
 しかし、一旦難問題に突き当たったときは、原点に立ち返ることも、 人々の知恵として生きている。
 〔死語の項参照〕
 
 或いはまた、人それぞれの立場(時処位)によっても、言葉の解釈や、 言葉から受け取る感動感激の度合いがそれぞれ異なることも伝承されてきている。
 〔食に関する「古今金言集・ことわざ集」の項参照〕
 ことわざとしての”鰻に梅干”については、 慎重派の人はこれを合わせた食しないであろうし、積極派の人はこれを気にしないで 合わせて食するあろう。
 ここでは、に関しての言葉を例として掲げたが、 教義教典においても推して知るべしである。
 
 このように考えてくると、実は教義教典とは、究極的には有名無実なもの( −  色即是空・空即是色)に落ち着くのでは……。
* 色即是空とは、 「仏語。この世にある一切の物質的なものは、そのまま空(くう)であるということ。 「般若心経」にある語。→空即是色。
* 空即是色とは、 「仏語。一切の存在は現象であって空であるが、その空であることが体得されると、 その現象としての存在がそのまま実在であるとわかるということ。 「般若心経(はんにゃしんぎょう)」には「色即是空、空即是色」とある。」(以上、コトバンク)

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