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宗教を読む / 人は神になれるか

◆天つ神・国つ神
 天つ神(天神)とは、「天上界にいる神。また、天から下った神。」
 国つ神(地祇)とは、「天つ神に対して、日本の国土に土着する神。地神。」(goo 辞書)
 天津神・国津神とは、 「天津神(あまつかみ)・国津神(くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である。
 天津神は高天原にいる、または高天原から天降った神の総称、 それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている。 ただし、高天原から天降ったスサノオの子孫である大国主などは国津神とされている。
 日本神話においては、国譲りに表されるように、 神勅に忠実なニニギを筆頭とする天津神に対する移管を受け入れる形でその関係性が描かれている。 ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、 皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。 特に国津神については、日本神話に取り入れられる際に変容し、 元々の伝承があまり残っていないものも多い。 日本書紀ではしきりに”ある文”として伝承等を引用している点から、 その記録文書は後世で失われてしまったようである。」(Wikipedia)
 天神地祇(てんしんちぎ)とも。
 
* 新規の神社
 神社本庁とは、 「1945年(昭和20)の神道指令により国家から分離された神社を組織するため、 翌年設立された宗教法人。伊勢神宮を本宗とし、全国大半の神社を包括する。 地方組織として各都道府県に神社庁がある。」(goo 辞書)
 
 私[守]の奉仕する松舘菅原神社は、神社本庁の包括下にある。
 ところで、(聞くところによると、戦後は)神社本庁では、 神話などに記述された(=神)以外の人(故人)は、 新規の祭神として認めない方針である、と云うことである。 もし、既知のを祭神(国つ神)とする新規神社を創立するときは、 神社本庁の包括外としなければならないようである。
 
* 自神
 各家庭では、それぞれ祖先の霊璽(位牌なども)を奉安(安置)し、 随時又は必要により供物を捧げるなどして拝礼している。 同一家屋内において居住者は、正に祖霊と同居しているのである。 つまり、私共は、各々が祖霊神と共同生活を営んでいることになる。
 
 即ち、自身が神(即身仏)なのである。ただ、誰もそれを口にしようとは思わないだけである。 何故なら、その人がもし仏教徒ならば、菩提寺の本尊や僧に対して何となく申し訳がないとの 謙虚さがあるからであろう。 しかし、現実には、祖霊と一心同体で有意義な日々の生活を営み、 かつ充実した人生を送っているではないか。
 
 因みに神々の中には、いわゆる良い神もおり、悪い神もいる。 これらの神々は、時処位を構成しつつ、の方向へ成長発展をし続けることで、 ほどよく均衡を保っている。 私共人間も、時として悪に惑わされたり誘われたりすることもあるが、 人間は本能的にを指向して成長するので、 したがって時処位は、自然に好ましい形に構築されていくこととなろう。

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