GLN 宗教を読む

聖書の起源

◆治癒信仰とマリヤ崇拝
 一本の杖のほかには、何ひとつ所持することを自己に許さなかった イエスと十二人の使徒たちの集団から、いかにして位階制度が発生し、 やがて国家権力と結合した一大権力機構にまで発展していくことになるのか。 即ち、ミラノ勅令によるキリスト教公認によって、早くも、 その最初の一歩が踏みだされたということである。 こうした歴史の動きのなかで、あの驚異と不思議の治癒神イエスは、 次第に精巧なドグマ(宗教上の教義・教理)のキリスト像に仕上げられ、 四世紀をすぎる頃には、癒しの宗教としての原初の姿を急速に失っていく。 治癒神イエスの驚異の奇跡は、新しい礼典主義に閉じこめられてしまうのである。
 
 しかし、民衆ははこうした教会にたいする果敢な挑戦 − 治癒権の奪回闘争を、 ひそかに、あるいは公然と敢行しっつあった。 イコン崇拝(イコンとは、キリストやマリヤの図像をいう。 ギリシア語のエイコン=像に由来する。 イコン崇拝は、イコンが奇跡をもたらすという東方教会の信仰に発している) と聖母マリヤ信仰がそれである。 それは教会が、権力によってどれほど懸命に禁止しようとしても、 ついに抑えきることのできなかった民衆の宗教であった。 しかし、こうした宗教の担い手こそが、あの驚異と不思議の治癒神イエスの伝承者となったのである。
 
 ギリシア正教、カトリック教、コプト教(エジプトのキリスト教)のいずれを問わず、 地中海地域にキリスト教のあるところ、そこにはイコン崇拝とマリヤ崇拝がある。 そして、驚異と不思議の癒しの信仰は、このイコンとマリヤ崇拝のなかに、 素朴で自由で奔放な、民衆の宗教としての原初の生命を保持しているとおもわれてならない。 そこには、カナン神話に登場する太古の豊饒の女神の熱狂的な歓喜と悲嘆が、 根強く生きつづけているのである。
 即ち、カトリック教会の伝える聖マリヤ伝承 − 悲しみのマリヤと祝婚のマリヤと……。
 
* ミラノ勅令
 313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世(当時は西方正帝)とリキニウス(同・東方正帝)が連名で発布したとされる勅令である。
 勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、その後311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発した。これを受ける形で、当時西方正帝だったコンスタンティヌス1世(のちに単独皇帝となる)は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布。他のすべての宗教と共にこれを公認した(Wikipedia)。

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