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聖書の起源

◆奇跡伝承の担い手たち
 ところでこうした解釈の妥当性を、承認しながらも、田川がマルコの思想を追跡するあまりに、 やや性急に飛び越していった問題に、「文学社会学」的照明をあて、 それによって伝承を担った民衆の社会的条件を確認し、その確認された条件から、 逆に史的イエスの行動を推定し、歴史のイエスの原像に接近しようとするのが、 荒井献『イエスとその時代』(一九七四)である。
 荒井の方法の斬新さは、伝承の担い手となった民衆を、社会の階層性においてとらえ、 そのことによって、伝承に記憶されたイエス像の、 社会的階層性を浮き彫りにしようとした点にある (こうした荒井の発想については、荒井も認めているように、 トロクメの影響が濃い。荒井はそれを徹底したのである)。 こうした方法によって、奇跡物語伝承を分析した結果は、次のようになる。
 
 第一に、奇跡物語の担い手となった民衆は、 イエスの言葉伝承を担った小市民層とは違って、社会の最下層、 とりわけ社会的に差別の対象とされた、いわゆる「地の民」(アム・ハ・アレツ)ないしは 「罪人」とよばれていた階層である。
 第二に、彼らの生活・行動の場は、ガリラヤの農村であった。
 第三に、彼らの用いた日常語はアラム語であり、彼らは、差別された状態から、 社会(家族)への復帰を、熱望していた。
 
 いずれにせよ、ガリラヤ的風土に育ち、エルサレム中心のユダヤ民族主義や、 キリスト論的イエス理解に批判的であったひとりの福音記者が、 ガリラヤ地方に伝わる病気なおしの奇跡伝承を用いて、ナザレのイエスの生涯を、 驚きとして、歴史に再現しようとした事実は、 疑うことができないだろう。 その記者こそマルコであった。こうしたマルコの手によって、 治癒神イエスは、諸民族の地域のガリラヤを背景に登場したのである。

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