GLN 宗教を読む

聖書の起源

◆ガラリヤのイエス − ヘレニズム系の伝承から
 ディベリクスも、ブルトマンも、イエスの奇跡の正確な全体は、 福音書の治癒物語やユダヤのラビ文学の研究だけでは究明が不可能である、 という確認から出発する。 今や聖書以外の奇跡物語文献が、大量に彼らの研究にとりこまれてくることになる。 彼らはそれを、けっして無差別にではなく、一定の比較枠にしたがって、 相互に比較検討することから彼らの作業を開始した。
 ブルトマンの到達した結論によると、福音書の治癒物語伝承は、 内容上ユダヤのラビ文学の奇跡物語と酷似しているが、その様式と動機において、 同じであるとは断定できない。 むしろ福音書の治癒物語は、ヘレニズム系治癒物語との類似によって、 それと同様の状況、社会的条件のもとに生みだされたと判断せざるを得ない。こう推論する。
 
 要するに、治癒物語伝承の担い手は、ヘレニズム的キリスト教団であり、 彼らはそれを正統ユダヤの外側で担っていたというのである。 ブルトマンにとって、治癒神イエスは、明白に旧約聖書のレビ記的射程の圏外に立っていた。 しかし彼は、その場所がどこであるかを明言しない。 ただ後期ユダヤの、ヘレニズム的混淆の、もっとも顕著な地帯に、 彼は治癒神イエスの登場を想定したのである。
 そのような地帯とは、いったいどこであったか。 治癒神イエスの登場に関する研究は、近年もっぱら、後期ユダヤの複雑な政治的状勢と、 ヘレニズム末期の特異な宗教的状況の、交錯した地帯の確定に、その照明をあててきた。
クムラン洞穴群  とくに、いわゆる「死海文書」の発見(一九四七年、ベドウィンの少年によって、 クムランの洞穴で発見された最古の旧約文書)によって、 ユダヤ教の一分派のエッセネ派に、かなり近いと目されるクムラン教団が、 死海西北岸に存在し、いわゆる「死海文書」を中心に「洗礼(バプテスマ)」と「聖餐」とを守り、 厳格な禁欲生活に徹した共同体を、形成していたことが明らかにされ、 しかも注目すべきことには、マルコ福音書の冒頭に、 イエスの先駆者として登場する「洗礼派」のヨハネが、 これと何らかのかかわりをもっていたことが想定されるに及んで、 こうした研究傾向に、一段と拍車がかけられるにいたった。
 たしかに、福音書にうつしだされた.バプテスマのヨハネには、 「死海文書」の担い手であるクムラン共同体の、禁欲的で、 この世の終りの間近な到来を確信する終末論的信仰が、色濃く投影されている。 それだけではない。 さらに重要なことは、ヨハネの活動の舞台となった荒野、すなわちヨルダン川周辺は、 クムラン教団の存在した死海西北岸に、地理的にも接近している。 両者の間のかかわりは、ことのほか近いと想定すべ十分な理由がある。
 
 注:ヨハネ
 バプテスマのヨハネ。都市生活から離れ、神の審判がせまっていることを説き、人々に悔い改めのしるしとして洗礼を施し、イエスもヨルダン川でその洗礼を受けた。ヘロデ王により殺された。洗礼者ヨハネ。〔「約翰」とも書く〕(goo 辞書)

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