GLN 宗教を読む

聖書の起源

アブラハムの物語
 さて物語を読みついでいこう。 箱舟に乗って、危うく難を逃れたノアが、祭壇を築いて、 主なる神に燔祭(はんさい、古代ユダヤ教で、犠牲の動物を祭壇で焼き、神に捧げた儀式) をささげたとき、 神は、その香ばしいかおりをかいで、心にこう言われたという。
「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。 人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。 わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。 地のある限り、種まきの時も、刈り入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、 昼も夜もやむことはないであろう」(創世紀)。
 
 そして神は、ノアとその子らを祝福し、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(創世記)と言われた。 再び人間の歴史は始まる。
 ノアは農夫となり、ぶどう畑をつくりはじめる。 ノアの子であるセム、ハム、ヤペテに彼らの子が生まれ、地のおもてをみたしていった。 セムの系図(ユダヤ人、アラビア人、シリア人)、 ハムの系図(エジプト人)、ヤペテの系図(インド・ヨーロッパ人種)が完成していく。 彼らは氏族にしたがい、言語にしたがい、全地のおもてに分かれて住んだという。
 
 さて、物語によると、アブラハムは、セムの系図から出て、メソポタミア地方のウルに住んでいた。 ウルの町は、今はない。あるのは廃墟だけである。 この埋もれた廃墟の都市ウルを、一九二二年から一九三四年にかけて、 C・L・クーリーのひきいる調査隊が、発掘に挑んだ。 その結果、それぞれ一〇〇段からなる三つの階段をもつ塔が掘り起こされた。
 それはジッグラットとよばれる高層神殿で、塔の最上段には神殿がある。 天と地とを連結する壮大な発想が、そこにはあった。 塔は、上薬をかけられ、色彩をほどこされたれんがでもって積みあげられていた。 神殿には、月の女神イナンナがまつられていた。
 塔の下層の土中には、おそらく紀元前四〇〇〇年にさかのぽるであろう、 シュメール王朝時代の居住跡と、 その上をおおう厚さ二・四メートルにも達する洪水跡が観測された。 大洪水はバビロニア平原一帯をおおう大規模なものであった。
 このウルが、ノアの末裔アブラハム一族の生活の地であった。 彼らが、そこでいかなる暮らしをしていたか、その詳細はわからない。 創世記は、ノアの子孫を定住農耕民であるかのように語っているが、 物語にみるアブラハム一族の生活は、けっしてそうではなかった。 しいていえば、遊牧民的〜半農耕民とでも呼ぶことができるだろうか。 そもそも定住しょうにも、そのための耕地が、彼らにはなかった。 創世記の伝える彼らの旅の物語は、実は土地取得のための旅だったのである。
 
 天真爛漫な子供たちに対して、”幼い時から悪い”と云う発想は、私共日本人にはない。 この考え方は、(イスラエル民の)神側の考え方である。 大人ぐらいに成長すると、その道徳律はその場面場面で任意に理解し、 例えその道徳律に無理な面があったとしても、大人なら柔軟に対応して、それに従う。 しかし、精神的にも肉体的にも盛んに成長の過程にあるときには、善悪の分別がつきにくく、 ましてや神の意に添うような厳しい道徳律をとりにくい。 したがって、そのことに鑑み、神側から子供を評価するとき、 神の意に添わない故をもって、”罪人”と決めつけるのであろう。 私共日本人の感覚からすると、真にもって”腑に落ちない”ことではある。
 したがってキリスト教などいわゆる”世界宗教”においては、 その教義教典を徹底する意味からも、”課題(ミッション)”を与えて、 幼児の頃より教育に力を注いでいる。
 〔教育存在感の項参照〕

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