GLN 武士道

14 婦人の教育および地位

 人類の一半を成す女性は往々矛盾の典型と呼ばれる。けだし女性の心の直感的な働きは 男性の「算数的な悟性」の理解を超ゆるが放である。「神秘的」もしくは「不可知的」を意味する漢字の 「妙」は、「若い」という意味の「少」という字と「女」という字とから成っている。けだし女性 の身体の美と繊細なる思想とは男性の粗雑なる心理能力の説明しえざるところだからである。
 しかるに武士道における女性の理想には神秘的なるところなく、その矛盾もただ外見的のみである。 私はそれを勇婦的であると言ったが、それは真理の半面たるに過ぎない。妻を意味する漢字「婦」は、 箒を持てる女を意味する − もっともそれは確かに彼女の配偶者に対し攻撃的もしくは防禦的に 揮(ふる)うためではなく、また魔法のためでもなく、箒が最初発明せられたところの無害な 用途においてである − かくてその含意する思想は、英語の妻(wife)が語源的に織る人(weaver) よりいで、娘(daughter)が牛乳搾り(duhitar)よりいでしと同様に家庭的である。ドイツ皇帝は 婦人活動の範囲は台所(Kuche)、教会(Kirche)、ならびに子供(Kinder)にありと言われた というが、武士道の女性の理想はこれら三者に限定することなく、著しく家庭的であった。この一見 矛盾と思われる家庭的ならびに勇婦的特性は、武士道においては両立せざるものではない。
 以下その事を論じよう。
 
 武士道は元来男性のために設けられた教えであるから、その婦人について貴びし徳もおのずから 特に女性的なるものから遠くあった。ウィンケルマン曰く、「ギリシャ芸術の最高の美は女性的 であるよりもむしろ男性的である」と。レッキーはこれに付言して、このことはギリシャ人の 道徳観念について見るも、芸術におけるがごとくに真であると言った。同様に武士道は、「女性の 脆弱さより自己を解放して、最も強くかつ最も勇敢なる男子に値する剛毅不撓を発揮したる」婦人をば 最も賞揚した。この故に少女はその感情を抑制し、その神経を剛くし、武器 − ことに薙刀 (なぎなた)という長柄の刀を使い、もって不慮の事変に際して己が身を守ることを訓練せられた。 しかしながらこの武芸練習の主たる動機は戦場において用うるためではなく、むしろ一身のためならびに 家庭のためなる二つの動機にいでた。女子はおのれの主君を有せざるにより、己れ自身の身を守った。 女子がその武器をもって己が身の神聖を護りしことは、夫が主君の身を護りしがごとき熱心をもってした。 彼女の武芸の家庭的用途は、後に述ぶるがごとく子供の教育においてであった。
 女子の剣術その他の武芸は、実用せられることは仮に稀であるとしても、端坐的なる婦人の習慣を 補う健康上の効用があった。しかしながらこれらの武芸は健康上の目的からのみ練習せられたのではなく、 有事の際には実際に用うることができた。女児が成年に達すれば短刀(懐剣)を与えられ、 もっておのれを襲う者の胸を刺すべく、或いは場合によりてはおのれの胸を刺すをえた。
 後者の場合はしばしば実際に起った。しかし私は彼らを酷に審こうと思わない。自殺を嫌悪する キリスト者の良心といえども、自殺せし二人の婦人ベラギアおよぴド、ドミニナをばその純潔と敬虔 の故をもって聖徒に列しているのを見れば、彼らに対し苛酷ではないだろう。日本のヴァジニアは その貞操が危険に瀕するを見る時、彼女の父の剣を待つまでもなく、彼女自身の武器が常に懐中にあった。 自害の作法を知らざることは彼女の恥辱であった。例えば、彼女は解剖学を学ばなかったけれども、 咽喉のいずれの点を正確に刺すべきかを知らねばならなかった。死の苦痛いかに激しくとも 死屍(しし)が肢体の姿勢を崩さず、最大の謹慎を示さんがために、帯紐をもって己が膝を縛ることを 知らねばならなかった。かくのごとき身だしなみはキリスト者ベルぺチュアもしくは聖童貞(ヴェスタル) コルネリアに比すべきでないか。私がかかるだしぬけな質問を発したには理由がある。それは入浴の 習慣その他の些事に基づきて、貞操観念は我が国民の間に知られないというごとき誤解を抱く者を 見るからである。全然反対だ。貞操は武士の婦人の主要の徳であって、生命以上にこれを 重んじたのである。一人の妙齢の婦人が敵に捕えられ、荒武者の手により暴行の危険に陥りし時、 戦によって散り散りになりし姉妹にまず一筆認むることを許されるならば、彼らの意に従おうと 申し出た。手紙を書き終った彼女は手近の井戸に走り、身を投じて彼女の名誉を救った。 遺された文の端に一首の歌があった、
  世にへなばよしなき雲もおほひなん
  いざ入りてまし山の端(は)の月
 
 男性的なることのみが我が国女性の最高理想であったとの観念を読者に与えることは公平でない。 大いにしからず! 芸事および優雅の生活が彼らに必要であった。音楽、舞踊、および文学 が軽んぜられなかった。我が国文学上最も優れたる詩歌の若干は女性の感情の表現であった。 じっさい婦人は日本の美文学史上重要なる役割を果したのである。舞踊(私は武士の娘のことを 言っているのであって、芸者のことではない)が教えられたのは、ただ動作の角(かど)を 滑かにするためであった。音楽は彼らの父もしくは夫の物憂き時を慰めるためであった。 したがって音楽を習ったのは技巧のため、すなわち芸術そのもののためではなかった。 その窮極の目的は心を清めることにあり、心平かならずんば音おのずから諧(ととの)わずと言われた。 吾人は前に青年の教育について、芸道は常に道徳的価値に対し従たる地位に置かれたことを 見たのであるが、同一の観念が女子の場合にもまた現われている。音楽、舞踊は生活に優雅と明朗を 付加するをもって足るとなし、決して虚栄奢侈を養うためでなかった。ペルシャ王がロンドンにて 舞踏会に案内せられて、舞踏に加わることを勧められた時、自国ではこの種の仕事をなして 見せるためには特別の女子の一団が準備せられていると、ブッキラ棒に答えたと言うが、 私は王に同情する。
 
 我が婦人の芸事は見せるため、もしくは出世のために学んだのではない。それは家庭の娯楽であった。 社交の席にてその技を示すことがあっても、それは主婦の務めとして、換言すれば家人が客を歓待する 方法の一部としてであった。彼らの教育の指導精神は家事であった。旧日本婦人の芸事の目的は、 その武芸たると文事たるとを問わず、主として家庭のためであったと言いうる。 彼らはいかに遠く離れさまようても、決して炉辺を忘れることはなかった。彼らは家の名誉と 体面とを維持せんがために、辛苦労役し、生命を棄てた。日夜、強くまたやさしく、勇ましくまた 哀しき調べをもって、彼らはおのが小さき巣に歌いかけた。娘としては父のために、妻としては 夫のために、母としては子のために、女子は己れを犠牲にした。かくして幼少の時から彼女は 自己否定を教えられた。彼女の一生は独立の生涯ではなく、従属的奉仕の生涯であった。男子の 助者として、彼女の存在が役立てば夫と共に舞台の上に立ち、もし夫の働きの邪魔になれば彼女は 幕の後に退く。一人の青年が一人の乙女を恋い、乙女も同じ熱愛をもって彼の愛に報いたが、 青年が彼女に心惹かれて義務を忘るるを見て、乙女は自己の魅力を失わしむるため己が美貌に 傷つけたるごとき事の起りしも稀でない。武士の娘たちが理想の妻と仰ぐ吾妻は、おのが夫の仇の 恋慕するところとなったが、不義の計画に与することを装い、闇に紛れて夫の身代りに立ち、恋 の刺客の剣をばおのれの貞潔なる首に受けた。一人の若き大名〔木村重成〕の妻が自刃に先立ちて 書き遺したる次の手紙は、何らの注解を要しないであろう。
 「一樹の蔭、一河の流れ、これ他生の縁と承り候が、さてもおととせの頃おいよりして、偕老 の契りをなして、ただ影の形にそうがごとく思いまいらせ候に、この頃承り候えば、この世限り の御催しの由、かげながら嬉しく存じまいらせ候。唐土の項王とやらんは世に猛き武士なれど、 虞氏のために名残を惜しみ、木曾義仲は絵殿の局に別れを惜しみきとやら、されば世に望み窮りし 妾(わらわ)が身にては、せめては御身御在生の中に最後を致し、死出の道とやらんにて 待ち上げ奉り候。必ず必ず秀頼公多年海山の鴻恩御忘却なきようたのみ上げまいらせ候」。
 
 女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つるは、男子が主君と国とのために身を棄つと同様に、 喜んでかつ立派になされた。自己否定 − これなくしては何ら人生の謎は解決せられない −  は男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。女子が男子の奴隷でなかったことは、 彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様である。女子の果したる役割は、内助すなわち 「内側の助け」であった。奉仕の上昇階段に立ちて女子は男子のために己れを棄て、 これにより男子をして主君のために己れを棄つるをえしめ、主君はまたこれによって天に 従わんがためであった。私はこの教訓の欠陥を知っている。またキリスト教の優越は、生きとし 生ける人間各自に向って創造者に対する直接の責任を要求する点に、最も善く現われていることを知る。 しかるにもかかわらず奉仕の教義に関する限り − 自己の個性をさえ犠牲にして己れよりも高き 目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中最大であり彼の使命の神聖なる基調をなしたる 奉仕の教義 − これに関する限りにおいて、武士道は永遠の真理に基づいたのである。
 
 読者は私をもって、意志の奴隷的服従を賞揚する不当の僻見を抱く者と咎めないであろう。 私は、学識博く思想深きヘーゲルが主張し弁護したる、歴史は自由の展開および実現であるとの 見解をば、大体において受けいれる。私の明らかにせんと欲する点は、武士道の全教訓は自己犠牲 の精神によって完全に浸潤せられており、それは女子についてのみでなく男子についても要求せられた、 ということである。したがって武士道の感化がまったく消失するに至るまでは、あるアメリカ人の 女権主張者が「すべての日本の女子が旧来の習慣に叛逆して蹶起せんことを!」と叫んだ軽率なる見解を、 我が国の社会は納得しないであろう。かかる叛逆は成功しうるか。それは女性の地位を 改良するであろうか。かかる軽挙によって彼らの獲得する権利は、彼らが今日受け継いでいるところの 柔和の性質、温順の動作の喪失を償うであろうか。ローマの主婦が家庭性を失ってより起りし 道徳的腐敗は、言語に絶したではないか。彼のアメリカ人の改良家は、我が国女子の叛逆は 歴史的発展のとるべき真の経路であることを確言しうるか。これは重大問題である。 変化は叛逆を待たずしてきたらねばならず、またきたるであろう。今しばらく、武士道の制度下 における女性の地位は果して叛逆を是認するほどにじっさい悪しくあったか否かを見ようではないか。
 
 吾人はヨーロッパの騎士が「神と淑女」にささげたる外形的尊敬について多くを聞いている、 −  この二語の不一致はギボンをして赤面せしめしところである。またハラムは騎士道(シヴァリー)の 道徳は粗野であり、その婦人に対する慇懃は不義の愛を含んだ、と述べている。騎士道の女性に 及ぼしたる影響は哲学者に対して思索の糧を供した。ギゾー氏は封建制度ならびに騎士道は健全なる 影響を与えたと論ずるに反し、スペヘンサー氏は軍事社会においては(しかして封建社会は軍事的に あらずして何ぞ)婦人の地位は必然的に低く、それは社会が産業的となるに伴いてのみ改良せられると 述べた。さて日本についてはギゾー氏の説とスペンサー氏の説といずれが正しいか。答えて 両者ともに正しいと、私は確言しうるであろう。日本における軍事階級は約二百万人を数える 武士(さむらい)に限られた。その上に軍事貴族たる大名と、宮廷貴族たる公卿(くげ)とがあった  − これらの身分高く安逸なる貴族たちは、ただ名称においてのみ武人たるに過ぎなかった。 武士の下には平民大衆 − 農、工、商 − があり、これらの者の生活は専ら平和の業務に携わった。 かくしてハーバート・スペンサーが軍事的型態の社会の特色として挙ぐるところは専ら武士階級に 限られたのであり、これに反し産業的型態社会の特色はその上と下との階級に適用せられうるもので あった。このことは婦人の地位によりて善く説明せられる。すなわち婦人が最も少なく自由を 享有したのは武士の間においてであった。奇態なことには社会階級が下になるほど −  例えば職人の間においては − 夫婦の地位は平等であった。身分高き貴族の間においてもまた、 両性間の差異は著しくなかった。これは主として、有閑貴族は文字通りに女性化したるため、 性(セックス)の差異を目立たしめる機会が少なかりし故である。かくしてスペンサーの説は 旧日本において十分に例証せられた。 ギゾーの説に関しては、彼の封建社会観を読みし者は、彼が特に身分高き貴族をば考察の対象と なしたることを記憶するであろう。したがって彼の議論は大名および公卿に適用せられるのである。
 
 もし私の言が武士道の下における婦人の地位に関し甚だ低き評価を人にいだかしめたとすれば、 私は歴史的真理に対し大なる不正を冒すものである。私は女子が男子と同等に待遇せられなかったと 述べるに躊躇しない。しかしながら吾人が差異と不平等との区別を学ばざる限り、この間題についての 誤解を常に免れないであろう。
 男子でさえ相互の間に平等なるは法廷もしくは選挙投票等きわめて少数の場合に過ぎざること を思えば、男女間の平等についての論議をもって吾人自らを煩わすごときは無駄と思われる。 アメリカの独立宣言において、すべての人は平等に創造せられたと言われているのは、何ら精神的 もしくは肉体的能力に関するものではない。それは往昔アルピアンが、法の前には万人平等であると 述べしことを繰り返したに過ぎない。この場合においては、法律的権利が平等の尺度であった。 もしも法が社会における婦人の地位を計るべき唯一の衡(はかり)であるとせば、その地位の高下を 告げるのは、彼女の体重をポンド・オンスで告げると同様容易なことである。しかしながら問題は これである、 − 男女間の相対的なる社会的地位を比較すべき正確なる標準は何か。女子の地位 を男子のそれと比較するに当り、銀の価値を金の価値と比較するがごとくにしてその比率を数字的に 出すことが正しいか、それで足るか。かかる計算の方法は人間のもつ最も重要なる種類の価値、 すなわち内在的価値を考察の外に置くものである。男女おのおのその地上における使命を果すため 必要とせらるる資格の種々多様なることを考えれば、両者の相対的地位を計るために用いらるぺき 尺度は複合的性質のものでなければならない。すなわち経済学の用語を借りれば、複本位 でなければならない。武士道はそれ自身の本位を有した。それは両本位であった。すなわち女子の 価値をば戦場ならびに炉辺によって計ったのである。前者においては女子は甚だ軽く評価せられたが、 後者においては完全であった。女子に与えられたる待遇は、この二重の評価に応じた。  − 社会的政治的単位としては高くはなかったけれども、妻および母としては最も高き尊敬と 最も深き愛情とを受けた。ローマ人のごとき軍事的国民の間にありて、婦人が高き尊敬を払われたのは 何によるか。それは彼らがマトロネー(Matronae)すなわち母であったからではないか。戦士 もしくは立法者としてでなく、母としてローマ人は婦人の前に身を屈めた。我が国民についても 同様である。父や夫が戦場に出て不在なる時、家事を治むるはまったく母や妻の手に委ねられた。 幼者の教育、その防衛すらも、彼らに託された。私が前に述べたる婦人の武芸のごときも、 主として子女の教育をば賢しく指導するをえんがためであった。
 半解の外国人の間には、日本人が俗に自分の妻をば「荊妻(けいさい)」などと呼ぶを見て、 妻を軽蔑し尊敬せざるものとなす皮相(ひそう)の見解が行なわれている。しかし「愚父」、 「豚児(とんじ)」、「拙者」等々の語が日常使用せられていることを告げれば、それで答えは 十分明瞭ではないか。
 
 我が国民の結婚観は或る点においてはいわゆるキリスト教徒よりも進んでいると、私には思われる。 「男と女と合いて一体となるべし」。アングロ・サクソンの個人主義は、夫と妻とは二人の人格 であるとの観念をば脱することができない。したがって彼らが相争う時は別々の権利を承認し、 しかして相和する時はあらゆる種類の馬鹿馬鹿しき相愛の語や無意味(ノンセンス)な阿訣(あゆ)の 言葉のありたけを尽す。夫もしくは妻が他人に対しその半身のことを − 善き半身か悪しき半身かは 別として − 愛らしいとか、聡明だとか、親切だとか何だとか言うのは、我が国民の耳にはきわめて 不合理に響く。自分自身のことを「聡明な私」とか、「私の愛らしい性質」などと言うのは、 善い趣味であろうか。我々は自分の妻を賞めるのは自分自身の一部を賞めるのだと考える、 しかして我が国民の間では自己賞讃は少なくとも悪趣味だと看倣されている − しかして私は希望する、 キリスト教国民の間にありても同様ならんことを! 礼儀正しく自己の配偶を貶して呼ぶことは 武士の間に通常行なわれたる習慣であったから、私はかなり長く横道に入って論じた次第である。
 
 チュートン人種は女性に対する迷信的畏怖をもってその種族的生活を始め(これはドイツ においてはじっさい消滅しっつあるが!)またアメリカ人は女子の人口不足という痛ましき自覚の 下にその社会生活を始めた(アメリカの女子人口も今は増加して、植民時代の母性の有したりし 特権を急速に喪いつつあるのでないかと、私は恐れる)。したがって西洋文明においては、 男子が女子に対して払う尊敬が道徳の主要なる標準となったのである。しかしながら武士道の武的倫理 においては、善悪を分つ主要の分水嶺は他の点に求められた。それは人をばおのれの神聖なる霊魂 に結び、しかる後私が本書の初めの部分にて述べし五倫の道において他人の霊魂に結ぶ、 義務の線に沿うて存在した。この五倫の中、私は忠義、すなわち臣下たる者と主君たる者との 関係について説くところがあった。その他の点についてはただ機(おり)に触れて付言したに過ぎない、 けだしそれらは武士道に特異なものではなかったからである。それらは自然的愛情に基づくものとして、 当然全人類に共通であった。ただし二、三の特殊の点において、武士道の教訓から導き出されたる 事情により、それの強められたことはありうる。これに関連して私は、男子相互間における友情の特別 なる力と美とを想起する。これはしばしば兄弟の盟いに対しロマンティックなる愛慕を付加したのであり、 しかしてこの愛慕の情が青年時代における男女別居の習慣によって強められたことは疑いない。 けだしこの別居は、西洋の騎士道もしくはアングロ・サクソン諸国の自由交際におけるごとき愛情の 自然的流露の途を塞いだのである。ダモンとピシアス、もしくはアキレウスとパトロクロスの物語の 日本版をもって、ページを埋めることは困難でない。或いはダビデとヨナタンとを結びしに 劣らぬごとき深き友情をば、武士道物語の中に述べることもできよう。
 しかしながら、武士道特有の徳と教えとが、武士階級のみに限定せられなかったことは怪しむに に足りない。このことは吾人をして武士道の国民全般に及ぼしたる感化の考察に急がしめる。

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