武士道の徳は我が国民生括の一般的水準より造かに高きものであるが、吾人はその山脈中
さらに頭角を抜いて顕著なる数峯だけを考察したにすぎない。太陽の昇る時まず最高峯の頂をば
紅に染め、それから漸次にその光を下の谷に投ずるがごとく、まず武士階級を照らした倫理体系は
時をふるにしたがい大衆の間からも追随者を惹きつけた。平民主義はその指導者として天成の王者
を興し、貴族主義は王者的精神を民衆の間に注入する。徳は罪悪に劣らず伝染的である。「仲間
の間にただ一人の賢者があればよい、しからばすべてが賢くなる。それほど伝染は速かである」
とエマスンは言う。いかなる社会的階級も道徳的感化の伝播力を拒否しえない。 …… 過去の日本は武士の賜である。彼らは国民の花たるのみでなく、またその根であった。 あらゆる天の善き賜物は彼らを通して流れでた。彼らは社会的に民衆より超然として構えたけれども、 これに対して道義の標準を立て、自己の模範によってこれを指導した。私は武士道に対内的および 対外的教訓のありしことを認める。後者は社会の安寧幸福を求むる福利主義的であり、前者は 徳のために徳を行なうことを強調する純粋道徳であった。 …… 民衆娯楽および民衆教育の無数の道 − 芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、小説 − はその主題を武士の物語から取った。農夫は茅屋に炉火を囲んで義経とその忠臣弁慶、 もしくは勇ましき曾我兄弟の物語を繰り返して倦まず、色黒き腕白は茫然口を開いて耳を傾け、 最後の薪が燃え尽きて余燼が消えても、今聴きし物語によりて心はなお燃えつづけた。 番頭、小僧は一日の仕事を終えて店の雨戸を閉めれば、膝を交えて信長、秀吉の物語りに夜を更し、 遂に睡魔がその疲れたる眼を襲い、彼らを帳場の辛労より戦場の功名に移すに至る。 よちよち歩き始めたばかりの幼児でさえ、桃太郎鬼ガ島征伐の冒険を廻らぬ舌で語ることを覚えた。 女の児でさえ武士の武勇と徳を慕う心深く、武士の物語りを貪り聞くを好むこと、デズデモナ のごとくであった。 武士は全民族の善き理想となった。「花は桜木、人は武士」と、俚謡(りよう)に歌われる。 武士階級は商業に従事することを禁ぜられたから、直接には商業を助けなかった。 しかしながらいかなる人間活動の路も、いかなる思想の道も、或る程度において武士道より 刺激を受けざるはなかった。知的ならびに道徳的日本は直接間接に武士道の所産であった。 マロック氏はその勝れて暗示に富む著書『貴族主義と進化』において雄弁に述べて曰く、 「社会進化、それが生物進化と異なる限り、偉人の意志よりいでたる無意識的結果なりと定義して 可(よ)かろう」と。また曰く、歴史上の進歩は「社会一般の間における生存競争によるものではなく、 むしろ社会の少数者間において大衆をば最善の道において指導し、支配し、使役せんとする競争 によって生ずる」と。氏の議論の適切さについての批評はともかくとして、 以上の言は我が帝国既往の社会進歩上武士の果したる役割によりて豊かに証明せられた。 武士道精神がいかにすべての社会階級に浸透したかは、男達として知られたる特定階級の人物、 平民主義の天成の頭領の発達によっても知られる。彼らは剛毅の男子であって、その頭の頂より 足の爪先に至るまで豪快なる男児の力をもって力強くあった。平民の権利の代言者かつ保護者として、 彼らはおのおの数百千の乾児(こぶん)を有し、これらの乾児は武士が大名に対したると同じ流儀に、 喜んで「肢体と生命、身体、財産および地上の名誉」を捧げて、彼らに奉仕した。過激短気の市井 (しせい)の従たる大衆の支持を背後に有したるこれら天成の親分は、二本差階級の専横に対する 恐るべき阻止カを構成した。 武士道はその最初発生したる社会階級より多様の道を通りて流下し、大衆の間に酵母(ぱんたね) として作用し、全人民に対する道徳的標準を供給した。武士道は最初は選良の光栄として始まったが、 時をふるにしたがい国民全般の渇仰(かつごう)および霊感となった。しかして平民は武士の 道徳的高さにまでは達しえなかったけれども、「大和魂」は遂に島帝国の民族精神(フォルクスガイスト) を表現するに至った。もし宗教なるものは、マシュー・アーノルドの定義したるごとく「情緒によって 感動されたる道徳」に過ぎずとせば、武士道に勝りて宗教の列に加わるぺき資格ある倫理体系は稀である。 本居宣長が 敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花 と詠じた時、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。 しかり、桜は古来我が国民の愛花であり、我が国民性の表章であった。特に歌人が用いたる 「朝日に匂ふ山桜花」という語に注意せよ。 大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である。 それは我が国の土地に固有である。その偶然的なる性質については他の国土の花とこれを 等しくするかも知れぬが、その本質においてはあくまで我が風土に固有なる自発的発生である。 しかしながら桜はその国産たることが、吾人の愛好を要求する唯一の理由ではない。 その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。 薔薇に対するヨ一ロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない。薔薇は桜の単純さを欠いている。 さらにまた、薔薇が甘美の下に刺を隠せること、その生命に執着すること強靭にして、 時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つるを選び、あたかも死を嫌い恐るるがごとくであること、 その華美なる色彩、濃厚なる香気 − すべてこれらは桜と著しく異なる特質である。我が 桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、その色は 華麗ならず、その香りは淡くして人を飽かしめない。およそ色彩形態の美は外観に限られる、 それは存在の固定せる性質である。これに反し香気は浮動し、生命の気息(いき)のごとく天にのぼる。 この故にすべての宗教上の儀式において、香と没薬(もつやく)は重要なる役割をもつのである。 香には霊的なる或る物がある。太陽東より昇ってまず絶東の島嶼(とうしょ)を照し、 桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の 感覚はない。 創造者自身馨しき香りをかぎてその心に新たなる決心をなしたもうたと記されたるを見れば 〔創世記八の二一〕、桜花の匂う好季節が全国民をその小さき住家の外に呼び出すに何の 不思議もないではないか。たとい彼らの手足が暫時労苦を忘れ、彼らの胸が悲哀を忘れても、 これを咎めるな。短き快楽が終れば、彼らは新しき力と新しき決心とをもって日常の業に帰るのである。 かくのごとく桜が我が国民の花たるゆえんは、一にして尽きない。 しからばかく美しくして散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ 永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型(タイプ)であるのか。日本の魂はかくも 脆く消えやすきものであるか。 |
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