義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、
曲りたる振舞いほど忌むぺきものはない。義の観念は誤謬であるかも知れない −
狭隘であるかも知れない。
或る著名の武士〔林子平〕はこれを定義して決断力となした、日く、
「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。
死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」と。
また或る者〔真木和泉〕は次のごとく述べている、
「節義は例えていわば人の体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、
手も動くを得ず、足も立つを得ず。されば人は才能ありとても、学問ありとても、
節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」と。
孟子は「仁は人の心なり、義は人の路なり」と言い、かつ嘆じて日く
「その路を舎(す)てて由らず、その心を放って求むるを知らず、哀しい哉。
人ケイ犬の放つあらば則ちこれを求むるを知る、心を放つあるも求むるを知らず」と。
彼に後るること三百年、国を異にしていでたる一人の大教師〔キリスト〕が、
我は失せし者の見いださるべき義の道なりと言いし比喩の面影を、
「鏡をもて見るごとく朧(おぼろ)」ながらここに認めうるではないか。
私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪われたる楽園を回復するために
歩むべき直くかつ狭き路である。 …… 義理の本来の意味は義務にほかならない。しかして義理という語のできた理由は 次の事実からであると、私は思う。すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、 唯一の動機は愛であるべきであるが、それの欠けたる場合、 孝を命ずるためには何か他の権威がなければならぬ。 そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。 彼らが義理の権威を形成したことは極めて正当である。 何となればもし愛が徳行を刺激するほど強烈に働かない場合には、 人は知性に助けを求めねばならない。すなわち人の理性を動かして、 義(ただ)しく行為する必要を知らしめねばならない。 同じことは他の道徳的義務についても言える。義務が重荷と感ぜらるるや否や、 ただちに義理が介入して、吾人のそれを避けることを妨げる。 義理をかく解する時、それは厳しき監督者であり、鞭を手にして怠惰なる者を打ちて その仕事を遂行せしめる。義理は道徳における第二義的の力であり、 動機としてはキリスト教の愛の教えに甚しく劣る。愛は「律法」である。 私の見るところによれば、義理は偶然的なる生まれや実力に値せざる依怙ひいきが 階級的差別を作り出し、その社会的単位は家族であり、年長は才能の優越以上に貴ばれ、 自然の情愛はしばしば恣意的人工的なる習慣に屈服しなければならなかったような、 人為的社会の諸条件から生まれでたものである。 正にこの人為性の故に義理は時をへるうちに堕落して、 この事かの事 − 例えば母は長子を助けるために必要とあらば他の子どもをみな 犠牲にせねばならぬのは何故であるかもしくは娘は父の放蕩の費用を得るために 貞操を売らねばならぬのは何故であるか等々を、説明したり是認したりする時によびだされる 漠然たる妥当感となったのである。私見によれば、義理は「正義の道理」として出発したのであるが、 しばしば決疑論に屈伏したのである。それは非難を恐れる臆病にまで堕落した。 スコットが愛国心について、「それは最も美しきものであると同時に、 しばしば最も疑わしきものであって、他の感情の仮面である」と書いていることを、 私は義理について言いうるであろう。「義しき道理」より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、 義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。 もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為(かんい)堅忍の精神が武士道になかったならば、 義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。 |
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