この「武士道」ページは、
岩波書店発行新渡戸稲造著矢内原忠雄訳『武士道』を参考にさせていただきました。
即ち、本書は、「宗教を読む」の延長上にあるとの思いからです。 * 新渡戸稲造(にとべいなぞう)(1862-1933) 思想家・教育者。岩手県生まれ。札幌農学校卒業後、米・独に留学。 京大教授・一高校長・東大教授・東京女子大学初代学長を歴任。 また、国際連盟事務局次長を務め国際的にも活躍、 キリスト教徒として世界平和のために尽くす。著「武士道」(英文)、「修養」「農業本論」など。 (goo 辞書) ところで、歌舞伎の忠臣蔵では「花は桜木、人は武士」と云います。 西条八十作詞『同期の桜』では、 「貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため」 わが国では、昔から、武士も桜も散り際の潔さを良しとする、 と云う考えが定着していました。 しかし、と私[守]は思います。 わが国では古来、女性は家に居て家族の養育を担い、 男性は対外折衝を担当していました。 元々男性は、臆病な人種であると思います。 女性(〜家族)を守るため、いやいやながら戦場に向っていったのではないでしょうか。 女性たちから、「私等のために、ガンバッテェー」と後押しされ、 「ではぁ − 」と立ち上がざるを得なかった。 男同士の場合、背後に女を感じるときは、互いに敵意をむき出しにするが、 何も感じなければ、去勢されたも同然 ……。 * お断り 武士とは、つまり”国(人)対国(人)の争い”を専らにする人のことである。 この場合の”争い”は、生きるために挑戦するとか、狩猟するとかとは異なる。 人、特に男性は本能的に行動(果敢に挑戦する行為)する性質を持っている。 この行動は、正の行為として必要不可欠なものである。 しかし、武士の行為は、同じ人間同士の生死を賭けた争いなので、 そのためには、動機(motivation モチベーション)がなければならない。 その動機を促がす重要かつ必須なものの一つが、子女(=家族一族)の存在である。 動機があることで、武士としての人間的な使命感が達成される。 したがって、@行動することと、A武士が出陣することとは、 本質的に異なることを前提にして、 上述しました。 * 行動とは、 「(1)実際に体を動かして、あることを行うこと。実行。おこない。 (補足説明:行為とはほぼ同義だが、行動は人間の集団や動物のふるまいについても用いられる。) (2)〔心〕〔behavior〕外部から客観的に観察できる、人間や動物の行為や反応。」 * 行為とは、 「(1)個人がある目的を持って意識的にするおこない。行動。ふるまい。しわざ。所為。 (2)〔哲〕自由な意志に基づいて選択され、実行された身体的動作で道徳的評価の対象となるもの。 (3)法律上の効果を発生させる原因となる、人の自発的な意思活動。」 * 武士とは、 「武芸を身に付け、軍事にたずさわった者。平安中期以降に擡頭(たいとう)し、 江戸時代は四民の最上の階級とされた。さむらい。もののふ。」 * 軍事とは、 「軍隊・軍備・戦争に関する事柄。」 * 戦争とは、 「(1)武力を用いて争うこと。特に、国家が自己の意志を貫徹するため他国家との間に行う武力闘争。 国際法上、宣戦布告によって発生し、戦時国際法が適用される。いくさ。 (2)激しい競争や混乱。」 * 動機とは、 「(1)人が行動を起こしたり、決意したりする時の直接の(心理的な)原因・きっかけまたは目的。 (2)〔英 motive; (ドイツ) Motiv〕(ア)〔心〕 人の行動を決定する意識的・無意識的原因。動因。 (3)モチーフに同じ。」(以上、goo 辞書) なお、この種のページに書き記した事柄は、当然にして随時、また必要により書き改められるべき ものです。 * 因みに 武士道(ぶしどう)とは、「封建社会の日本における武士階級の倫理及び価値基準の根本をなす、 体系化された思想一般をさす。 教育者で思想家の新渡戸稲造など、文学・思想に大きな足跡を残したキリスト者達 (新渡戸、内村鑑三、植村正久など)による異文化接合の形として顕われたのが、 もう一つの「武士道」である。 倫理とは共同体の一員としての義務であり、思想とは命題に対して思惟を展開する行為である。 武士階級を主体とした場合は封建社会の、 近代の思想家を主体とした場合は近代の矛盾を命題とした思惟である。 具体的には封建社会において並存する「幕藩体制の倫理と武士階級の倫理の衝突」であり、 近代日本においては「日本人のアイデンティティの喪失」である。すなわち、 ここで対象となるのは次の二つになる。 近世における倫理規定、また思想としての武士道 近代における思想としての武士道である。 近代における武士道については1900年に英文で発表された新渡戸稲造の『武士道』 が代表的なテキストとされる。 本著は封建社会の武士道を題材としているが同時に武士道を直接的に解釈したのではなく 「武士道」という日本の精神的土壌に発現した現象をその根本から探り当て 普遍的真理を導こうとするものである。 すなわち封建社会の一階級の思想を日本人全体に当てはめるとするものではない。」(Wikipedia) 1899 Inazo Nitobe 武士道 日本の魂 − 日本思想の解明 − 過去を敬うことならびに 武士の徳行を慕うことを 私に教えたる 我が愛する叔父 太田時敏に この小著を ささぐ 以下、『武士道』を断片的に読んでみたい思います。 * ところで 私が曙小学校(当時は、秋田県鹿角郡曙村立曙国民学校)に入学したのは、 昭和20年でした。この夏、わが国は、第二次世界大戦(大東亜戦争)において敗戦しました。 その頃、家族は祖母・母・姉・兄と私でした。 私自身、学校などにおいては、いわゆる戦後教育を受けたことになります。 さて、わが国の歴史文化などを世界に向けてご紹介した一人が、 本書『武士道』を執筆された新渡戸稲造氏であります。 私の住んでいる所は、秋田県鹿角市(元鹿角郡曙村)ですが、同氏の故郷は岩手県でした。 どちらも、江戸時代は、南部領盛岡藩でした。 盛岡藩は江戸時代、元々10万石でした。その後主として鹿角から産出される銅・金や、 蝦夷地永久警護などのこともあってか、文化5年(1808)20万石になりました。 したがって藩の財政は厳しく、また藩主らの私生活も乱れがちであったため、 人事の面で強権を行使したり、人々は大いに不満を抱いていました。 〔相馬大作事件の項参照〕 〔鹿角の百姓一揆の項参照〕 〔軒別役の項参照〕 〔佐庄物語の項参照〕 新渡戸家の家系をみるに、それらのことが同家にも影響していたようです。 ところで明治維新以降、同氏のように、生来のわが国の思想であります神道や仏教に訣別して、 キリスト教を信奉した方々は沢山おられます。 これらの方々は、異教を信ずることで、かえって出自のことを再認識しました。 そして、わが国の思想や文化、民情などの優れていることを世界へ発信しました。 そのような一人に芥川龍之介もいます。 〔神神の微笑の項参照〕 そのようなことから、本ページ「武士道」を構築したものであります。 因みに、本書『武士道』の中で数箇所、盛岡藩の好敵手である仙台藩の藩主伊達政宗のことが記述されていますが、 伊達政宗も同氏と同様、キリスト教を信奉していました。 |
[次へ進む] [バック] [前画面へ戻る] |