△古事記 上巻 天津日高日子穂穂手見命
 
〈海宮へ〉
 さて、その弟が泣き悲しんで海辺に座られていたときに、塩椎(しほつち)の神が来 て、お尋ねになるには、
「どのような訳で虚空津日高(そらつひこ、山幸彦のこと)よ、泣き悲しんでおられる か、理由を聞きたい」
とお尋ねになったところ、答えて仰せになるには、
「自分と兄と、釣り針を交換して、その釣り針を無くした。それで兄が無くした釣り針 を請求するので、沢山の釣り針を弁償したが受け取らず、
『矢張り、元の釣り針を返せ』
と言うのである。それで泣き悲しんでいるのである」
と仰せになった。
 
 すると塩椎神は、
「わしは、貴命のために、善後策を講じよう」
と言って、早速無間勝間之小船(まなしかつまのをぶね、隙間のない籠の小船)を造っ て、(火遠理命を)その船に乗せて教えた。
「わしがこの船を押し流すので、ちょっとの間進み行け。すると良い潮路がある。その まま潮路に乗って行ったら、魚の鱗のように並び建っている宮がある。それは綿津見神 の宮殿である。その神の御門にお着きになったら、傍の井戸のそばに桂の木がある。そ の木の上にお出でになったら、海神の娘が見て、相談に乗ってくれるであろう」
 
 そこで、教えのとおりに行かれたところ、何から何まで言われたとおりであった。そ れですぐに、その木に登って腰を下ろしていた。
 そして、海神の娘、豊玉毘売(とよたまびめ)の従婢(まかたち、侍女)が、器を持 って水を汲もうとしたときに、井戸の水に光が映った。仰いで見たら、立派な男がいた。 不思議に思った。
 火遠理命はその侍女を見られて、
「水を下さい」
と所望された。
 侍女はすぐに水を汲んで、器に入れて差し上げた。
 しかし水はお飲みにならないで、首の玉をはずして、口に含んでその器に吐き入れら れた。するとその玉は器に着いて、侍女は玉をはずせなかった。それで、玉の着いたま ま豊玉毘売命に奉った。
 
 (豊玉毘売命は)その玉を見て、侍女に尋ねて言うには、
「もしかして、誰か門の外にいるのか」
(侍女が)答えて申し上げるには、
「井戸の側の桂の木の上に人が居られる。大変立派な男である。ここの王にもまして、 実にご立派である。その人が水を所望されたので、水を差し上げたら、水をお飲みにな らずに、この玉を吐き入れられた。この玉を離せません。それで、入れたまま持ってき て差し上げたのである」
と申した。
 
 そこで、豊玉毘売命は不思議であると思って外に出て、その人を見るなり、見て感じ 入って、見交わして心を通じ、その父に、
「門に気高く立派な方がおられる」
と申し上げた。  それを聞いた海神は自ら出て見て、
「この人は、天津日高の御子の虚空津日高であられる」
と言って、早速内にお連れて申して、美智(みち、アシカ)の皮を幾重にも重ね敷いて、 また絹の敷物を幾重にもその上に重ね敷いて、その上にお座らせて、沢山の結納品を供 えてご馳走し、そして娘の豊玉毘売を娶らされた。
 それで、三年になるまでその国にお住まいになった。
[次へ進む]  [バック]