△古事記 上巻 邇邇芸命の天降
 
〈天孫降臨〉
 このようにして、天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命、合わせて 五伴緒(いつとものを、五つの部族の神)を分けて従者に加えて、天降りされた。
 そのときに、(天岩屋戸から天照大御神をお招きした)大きな勾玉・鏡・草那芸剣、ま た、常世思金神・手力男神・天石門別(あめのいはとわけ)の神を(天照大御神は邇邇芸 命に)副えられて、仰せになるには、
「この鏡は、ひたすら私の御魂として、私自身を祀るように心身を清めてお仕えしなさ い」
 次に、
「思金神は、私の祭事を執り行って、祭祀をしなさい」
と仰せになった。
 
 この二柱の神(邇邇芸命と思金神)は、伊勢の神宮の内宮(五十鈴の宮)に崇めてお 祀りになっている。
 次に、登由宇気(とゆうけ)の神、これは伊勢の神宮の外宮(渡会)に鎮座されてい る神である。
 次に、天岩戸別神、亦の御名は櫛石窓(くしいはまど)の神と申し、亦の御名は豊石 窓(とよいはまど)の神とも申す。この神は、御門の神である。
 次に、手力男神は佐那県(さながた)に鎮座されている。
 さて、その天児屋命は中臣連らの祖先、布刀玉命は忌部首らの祖先、天宇受売の命は 猿女君らの祖先、伊斯許理度売命は鏡作連らの祖先、玉祖命は玉祖連らの祖先である。
 
 このようなことで、天津日子番能邇邇芸命は、天上の御座を離れて、天上の八重にた なびく雲を押し分けて、威力ある道を何度も押し分けて、中空の浮き橋の下端の、浮島 に堂々とお立ちになって、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)に天降 りなされた。
 ここに天忍日(あめのおしひ)の命・天津久米(あまつくめ)の命の二人は、天之石靱 (あめのいはゆき)を背負い、柄頭がコブ状になった大刀を取りつけ、天之波士弓(あ めのはじゆみ)を持ち、天之真鹿児矢(あめのまかこや)を手挟んで御前に立って先導 された。
 さて、その天忍日命は大伴連らの祖先である。天津久米命は久米直らの祖先である。  
 ここに、(邇邇芸命が)仰せられるには、
「この地は韓国(からくに、朝鮮)に向かい、笠沙の岬にまっすぐ通じていて、朝日の 照り輝く国、夕日の輝く国である故に、ここは本当に良いところである」
と仰せになって、地の下の岩の根に宮柱をしっかり立てて、高天の原に千木を高く上げ てお鎮まりになった。
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