△古事記 上巻 葦原之千秋長五百秋之水穂国
 
〈天若日子〉
 このようなことで、高御産巣日神と天照大御神は、また一同の神たちにお尋ねになる には、
「葦原中つ国に遣わした天菩比神は、長いこと復命しない。またどの神を遣わしたら良い であろうか」
 そこで思金神が答え申すには、
「天津国玉(あまつくにたま)の神の子、天若日子(あめのわかひこ)を遣わしとみよ う」
と申した。
 故に天麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)を天若日子にお 与えになって遣わした。天若日子はその国に降りてすぐに、大国主神の娘、下照比売を 娶って、またその国を獲ようと思って、八年たっても復命しなかった。
 
 そこで、天照大御神と高御産巣日神は、また一同の神たちにお尋ねになるには、
「天若日子は長いこと復命しない。またどの神を遣わして、天若日子の長いこと留まっ てる理由を尋ねさせたらよかろう」
とお尋ねになった。
 ここで一同の神たちと思金神が答えて申すには、
「雉(きぎし)で、名は鳴女(なきめ)を遣わそう」
と申すときに、(両大神が鳴女に)仰せになるには、
「お前が行って天若日子に問いただすのは、
『お前を葦原中国に遣わした訳は、その国の乱暴な神たちを説得して従わせよ、と云う ことである。それなのにどうして八年たっても復命しないのか』
と云うことである」
と仰せになった。
 
 そう云うことで、鳴女は天より降ってきて、天若日子の門の神聖な桂の木の上に止ま って、詳しく天神(あまつかみ)のお言葉のとおり言った。
 そこで天佐具売(あめのさぐめ)がこの雉の言っていることを聞いて、天若日子に、
「この鳥は、鳴く声が非常に悪い。だから射殺して下さい」
と進言するやいなや、天若日子は天神の下さった天之波士弓(あめのはじゆみ)と天之 加久矢(あめのかくや)でその雉を射殺してしまった。
 
 ところが、その矢が雉の胸を貫いて逆さまに射上げられて、天安河の河原にお出での 天照大御神と高木(たかぎ)の神の所に届いたのである。この木神は、高御産巣日神 の別名である。そこで木神がその矢を取ってご覧になったところ、その矢の羽に血が 付いていた。高木神は、
「この矢は天若日子に授けた矢であるぞ」
と仰せになって、そのまま一同の神たちに見せて仰せになるには、
「もし、天若日子が命令にそむかずに、悪い神を射た矢がここに届いたのなら、天若日 子に当たるな。もし反逆心があるなら天若日子よ、この矢に当たってしまえ」
と仰せになって、その矢を取って、矢が飛んできた穴から衝き返して下したところ、天 若日子が胡坐になって寝ていた胸に当たって死んしまった(これが恐ろしい還矢の起原 である)。
 また、その雉は帰ることはなかった。故に今でも諺に、
「雉のひた使い」
と云う起原はこれである。
 
 さて、天若日子の妻下照比売の泣く声が風と共に響いて天に届いた。そこで天上にい る天若日子の父の天津国玉神、また(天若日子の)妻子が聞いて、降りてきて泣き悲み、 すぐにそこに喪屋を作って、河雁(かはがり)を死人の食物を持つ役にして、鷺を墓所 の箒を持つ役にして、翠鳥(そに、カワセミ)を死者への御食(みけ)を作る人にして、 雀を碓(うす)をつく女にして、雉を泣き女にして、このように役を決めて八日八夜の 間、歌舞をしたのである。
 
 この時に、阿遅志貴高日子根神が来て、天若日子の喪を弔問されている時に、天から 降りてきた天若日子の父や妻がみんな泣いて、
「自分の子は死なないでいる」
「私の夫は死んではいません」
と言って、手足に取りすがって泣き悲しんだ。このように間違ったのは、この二柱の神 (天若日子・阿遅志貴高日子根神)の姿が、非常によく似ていたからである。故にこのよ うに間違ったのである。
 ところで阿遅志貴高日子根神は、いたく怒って言うには、
「自分は親しい友達なので弔いに来た。それなのに自分を汚らわしい死人に見立てるの か」
と言って、佩いている十拳の剣を抜いて、その喪屋を切り伏せて、足でもって蹴飛ばし てしまわれた。これは美濃国の藍見河(あゐみがは)の河上にある喪山である。その持 って(喪屋を)切った大刀の名前は大量(おほはかり)と云い、亦の名は神度(かむど) の剣とも云う。
 
 さて、阿治志貴高日子根神が怒って飛び去ったときに、その同母妹の高比売(たかひ め)の命は、兄の御名を明らかにしようとして、歌われるには、
「天なるや 弟たなばたの
うながせる 玉のみすまる
みすまるに 穴玉はや
み谷 二渡らす
阿治志貴 高日子根の神ぞや」
 
 この歌は、夷振(ひなぶり)である。
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