△古事記 上巻 少名毘古那神
 
 さて、大国主神が出雲の御大之御前(みほのみさき)にお出でのとき、波頭を伝って 天之羅摩船(あめのかがみのふね、蔓芋を割った船のこと)に乗って、蛾の皮を丸剥ぎ に剥いで着物にして、近寄ってくる神がいた。
 それで、名前を問いただされたが答えなかった。従っている一同の神たちに問いただ されたが、皆、
「知らない]
と申した。
 ところが、多邇具久(たにぐく、ヒキガエル)が申すには、
「これは久延毘古(くえびこ)がきっと知っているであろう」
と申したので、すぐ久延毘古を喚んでお尋ねになるときに、
「これは神産巣日神の御子で、少名毘古那(すくなびこな)の神である」
と申した。
 
 そこで(大国主神が)神産巣日御祖命に申し上げたところ、
「これは、実に我が御子である。御子の中で手の指の間からこぼれ落ちた子である。故 にそなた、葦原色許男命と兄弟になって、その国を作り堅めなさい」
と仰せになった。
 そのことにより、大穴牟遅(大国主神)と少名毘古那の二柱の神は協力し相並んで、 この国を作り堅められたのである。
 さてその後は、その少名毘古那神は、常世国(とこよのくに)にお渡りになった。
 
 さて、その少名毘古那神のことを申し上げたあの久延毘古は、今では山田曾富騰(や まだのそほど)と云う。この神は、歩くことは出来ないが、すっかり天下の事を知って おられる神なのである。
[次へ進む]  [バック]