△古事記 上巻 禊祓 〈禊祓〉 かくして、黄泉の国から脱出した伊耶那岐大神が仰せになるには、 「自分は、見ることも汚い醜い国に行ってしまった。であるから自分は、禊をしよう」 と仰せになって、筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら) にお出でになって、禊祓(みそぎはらへ)をされた。 すると投げ捨てる杖にお成りになった神の御名は、衝立船戸(つきたつふなど)の神 である。次に投げ捨てる帯にお成りになった神の御名は、道之長乳歯(みちのながちは) の神である。次に投げ捨てる袋にお成りになった神の御名は、時量師(ときはかし)の 神である。次に投げ捨てる衣にお成りになった神の御名は、和豆良比能宇斯(わづらひ のうし)の神である。次に投げ捨てる褌にお成りになった神の御名は、道俣(ちまた) の神である。次に投げ捨てる冠にお成りになった神の御名は、飽咋之宇斯(あきぐひの うし)の神である。次に投げ捨てる左手の腕輪にお成りになった神の御名は、奥疎(お きざかる)の神、次に奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこ)の神、次に奥津甲斐弁羅 (おきつかひべら)の神である。次に投げ捨てる右手の腕輪にお成りになった神の御名 は、辺疎(へざかる)の神、次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神、次に辺津甲 斐弁羅(へつかひべら)の神である。 以上の船戸神から下、辺津甲斐弁羅神より前の合わせて十二柱の神は、身に着けた物 をお脱ぎになってお生まれになった神である。 そこで(伊耶那岐大神は)、 「上流の瀬は流れが急である、下流の瀬は流れが緩やかである」 と仰せになって、初めて真ん中の瀬に入って体を振って洗い清めたときにお成りにな った神の御名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の 神である。この二柱の神は、あの穢れた国に行ったときの汚れによってお成りになった 神である。次にその禍を直そうとしてお成りになった神の御名は、神直毘(かむなほび) の神、次に大直毘(おほなほび)の神、次に伊豆能売(いづのめ)の神である。 次に水底で洗ったときにお成りになった神の御名は、底津綿津見(そこつわたつみ) の神、次に底筒之男(そこつつのを)の命である。水の中で洗ったときにお成りになっ た神の御名は、中津綿津見(なかつわたつみ)の神、次に中筒之男(なかつつのを)の 命である。水面で洗ったときにお成りになった神の御名は、上津綿津見(うはつわたつ み)の神、次に上筒之男(うはつつのを)の命である。この三柱の綿津見の神は、阿曇 の連が祖先神として奉る神である。そこで阿曇連たちは、その綿津見の神の御子の宇都 志日金析(うつしひがなさく)の命の子孫である。また底筒之男命、中筒之男命、上筒 之男命の三柱の神は、住吉神社の三座の神である。 |