△古事記 上巻 伊耶那岐神・伊耶那美神
 
〈黄泉の国〉
 伊耶那岐命は、妻伊耶那美命をその目で見ようと思われて、黄泉国(よもつくに)へ 追って行かれた。そして伊耶那美命が御殿を閉ざしてある戸口からお出迎えになったと きに、伊耶那岐命が話して仰せられるには、
「愛しい自分の愛妻よ、自分とあなたとが造った国は、まだ造り終えていないので、こ の世へ帰ってきてくれないか」
と仰せになった。
 伊耶那美命がお答えになるには、
「本当に悔しいことです。あなたが早くお出でにならなかったので、私は黄泉の国の食 物を食べてしまった。けれども、愛しいあなたよ、よくここまで来られましたね。なん とか帰ろうと思うので、ちょっとの間黄泉つ神と相談してきる。私を決して見ないで下 さい」
と、こう申して御殿の中に入られたが、その間が非常に長かったので、伊耶那岐命は待 ち堪えられなかった。
 
 そこで、左の御美豆良(みみづら)に刺しておいた、神聖な櫛(くし)の太い歯を一 本折って、火を点して中に入って見てみると、伊耶那美命には蛆虫(うじむし)が集ま ってごろごろ音をたてていた。頭には大雷(おほいかづち)が居り、胸には火雷(ほの いかづち)が居り、腹には黒雷(くろいかづち)が居り、女陰には析雷(さくいかづち) が居り、左手には若雷(わかいかづち)が居り、右手には土雷(つちいかづち)が居り、 左足には鳴雷(なるいかづち)が居り、右足には伏雷(ふすいかづち)が居り、合わせ て八種類の雷神が成っていた。
 
 伊耶那岐命はこれを見て恐れ驚いて逃げ帰られるときに、その妻伊耶那美命は、
「私に恥をかかせましたね」
と申し上げて、すぐに予母都志許売(よもつしこめ)をやって追わせられた。
 そこでお逃げになろうとする伊耶那岐命が、黒いつる草の髪飾りを取って投げ捨てた ところ、途端に葡萄の実が生えてなった。これを取って食べてる間にお逃げになってい るところを、なおも追いかけてくるので、また右のみづらに刺していた神聖な爪型の櫛 を折りとって投げ捨てたところ、途端に筍が生えたきた。これを抜いて食べている間にま たお逃げになった。
 伊耶那美命はまた後になったら、その八種類の雷神にたくさんの黄泉つ軍をそえて追 わせられた。そこで、伊耶那岐命は身に着けていた十拳の剣を抜いて後ろ手に降り持っ て逃げて来られたのを、まだ追いかけて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓に来たと きに、その坂の麓にある桃の実を三つ取って、待ち構えてお撃ちになったところ、皆そ の坂から黄泉国へ逃げ帰っていった。そこで伊耶那岐命は桃の実に、
「お前は自分を助けたように、葦原の中つ国にある限りの現実の生ある人たちが、苦し い目にあって困ってるときに助けてやってやれ」
と仰せになって、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命と云う名を授けられた。
 
 最後に、その妻伊耶那美命は、自分で追いかけてきた。そこで重い大きな岩をその黄 泉比良坂にふさいでしまわれ、その岩を中に置いてお互いに向かい合って、離別の言葉 を言い渡すときに、伊耶那美命が仰せられるには、
「愛しい私の夫よ、このようなことをするなら、あなたの国の人間を一日に千人殺して しまいましょう」 と仰せになった。
そこで伊耶那岐命が仰せられるには、
「愛しい自分の妻よ、あなたがそのようにするなら、自分は一日に千五百の産屋を立て ることとしよう」
と仰せになった。
 と云う訳で、一日に必ず千人死んで、一日に必ず千五百人産まれるのである。
 それ故、その伊耶那美命を、名づけて黄泉津大神と申す。また伊耶那岐命に追いつい たことにより、道敷(ちしき)の大神と申すと云う。また、黄泉坂にふさがっている岩 は、道反(ちがへし)の大神とも申し、また塞黄泉戸(さやりますよみど)の大神とも 申す。なお、あの黄泉比良坂は、今の出雲の国の伊賦夜坂(いふやざか)であろうと云 われている。
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