△古事記 中巻 品陀和気天皇(応神天皇) 〈反逆〉 さて、天皇がお亡くなった後に、大雀命は天皇のお言葉に従って、天下を宇遅能和紀 郎子にお譲りになった。 ここに、大山守命は天皇のお言葉に背いて、矢張り天下を取ろうとして、その弟皇子 (おとみこ)を殺そうと云う心があって、密かに兵士を準備して攻めようとされた。 そこで大雀命は、兄が兵を準備されていることを聞いて、すぐに使者を遣わして、宇 遅能和紀郎子にお知らせした。 故に(宇遅能和紀郎子は)聞いて驚いて、兵士を河の辺りに潜ませて、またその山の 上に絹布の垣を張って幕を立て、偽って舎人を王に見せかけて、見えるように高い座に 座らせて、百官が敬って往来する様子を、全く本物の王子の座る所のようにして、更に その兄王(大山守)が河を渡ろうとするときに備えて、船と舵を準備して設けて、また、 さね蔓の根を舂(つ)いて汁を取って、その船の中のスノコに塗り、踏んだら滑るよう に仕掛けて、その王子(和紀郎子)は布の上衣と袴を着て、完全に賤しい人の姿に変装 して、舵をとって船にお立ちになった。 一方、その兄王は兵士を隠して伏せておき、鎧を服の中に着て、河の辺りに着いて船 に乗ろうとしたときに、その厳重に飾り立てたところを遠望して、弟王がそこに居られ ると思って、(弟が)舵をとって船にお立ちになっていることを気づかないで、その舵 取りにお尋ねになるには、 「この山に狂暴な大きな猪がいると噂に聞いている。自分はその猪を討ち取ろうと思う が、もしその猪を討ち取れるであろうか」 とお尋ねになったところ、舵取りは、 「出来ないであろう」 と言ったら、また、 「どうしてか」 とお尋ねになったところ、 「何遍も行ったり来たりして討ち取ろうとしたが駄目であった。と云うことなので、出 来ないと申しているのである」 と言った。 河の中ほどに渡って来たときに、(弟王は)その船を傾けさせて、水の中へ(兄王を) 落し入れた。間もなく浮き出てきて、水の流れのままに下って行かれた。すなわち流れ ながらお歌いになるには、 「ちはやぶる 宇治の渡に 棹取りに 速けむ人し わがもこに来む」 このとき、河の辺りに潜んで隠れていた(弟王の)兵士があちこちから一斉にに姿を 現して、矢を射刺して流した。そのため訶和羅(かわら)の岬に至って沈み入られた。 そこで、鉤でもって沈んだ所を探ったら、服の中の鎧にかかって、訶和羅と鳴った。故 にそこを名づけて訶和羅の岬と云う。 さて、その死骸を引っ掛けて上げたときに、弟王の御歌、 「ちはやひと 宇治の渡に 渡り瀬に 立てる 梓弓 檀(まゆみ) い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本方は 君を思ひ出 末方は 妹を思ひ出 いらけなく そこに思ひ出 かなしけく ここに思ひ出 い伐らずそ来る 梓弓 檀」 故に、その大山守命の死骸は、那良山に葬った。この大山守命は、土形(ひぢかた) の君・幣岐(へき)の君・榛原(はりはら)の君たちの祖先である。 |