△古事記 中巻 品陀和気天皇(応神天皇)
 
〈文物の渡来〉
 この御世に、海部(あま)・山部(やまべ)・山守部(やまもりべ)・伊勢部(いせべ) をお定めになった。また、釼の池を作った。
 また、新羅の人が渡って来た。そこで建内宿禰命が引率して、堤の池として、百済の 池を作った。
 また、百済の国主(こにきし)照古王(せうこわう)が、牡馬一匹・牝馬を一匹を阿 知吉師(あちきし)に託して献上した(この阿知吉師は、阿直史(あちきのふみびと) たちの祖先である)。
 また(照古王は)太刀と大鏡を献上した。
 
 また、百済の国に、
「もし賢い人がおったら献上せよ」
と命ぜられた。
 故に、お言葉を受けて献上された人が、名が和邇吉師(わにきし)で、すなわち論語 十巻・千字文一巻、合わせて十一巻をこの人に託して献上した(この和邇吉師は文首(ふ みのおびと)たちの祖先である)。
 また、技術者で朝鮮の鍛冶、名は卓素(たくそ)、また呉の機織の西素(さいそ)の 二人を献上した。
 また、秦造の祖先、漢直の祖先、また酒を醸造するのを知ってる人で名は仁番(にほ)、 またの名は須々許理(すすこり)たちが渡って来た。
 そこでこの須々許理は大御酒を醸して献上した。ここに天皇は、この献上された大御 酒に愉快になって、御歌を詠まれるには、
「須々許理が 醸みし御酒に われ酔ひにけり
ことなぐし ゑぐしに われ酔ひにけり」
 
 このように歌ってお出でになるときに、杖で大坂の道中の大石をお打ちになったら、 その石は転がって避けた。そこで、諺に、
「堅石(かたしは)も、酔人を避く」
と云うのである。
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