△古事記 中巻 品陀和気天皇(応神天皇)
 
〈矢河枝比売〉
 あるとき、天皇は近江国へ(山を)越えてお出でになったとき、宇遅野の上にお立ち になって、葛野(かづの)を望んでお歌いになるには、
「千葉の 葛野を見れば
百千足る 家庭も見ゆ 国のほも見ゆ」
 
 そして、木幡(こはた)の村に着かれたときに、その分れ道で美しい嬢子(をとめ、 乙女)と出会った。
 そこで天皇は、その乙女に、
「お前は誰の子か」
とお尋ねになったら、答えて申すには、
「丸邇之比布礼能意富美の娘で、名は宮主矢河枝比売である」
と申した。
 天皇はそこで、その乙女に、
「自分は、明日都へ帰るときに、そなたの家にお入りになろう」
と仰せになった。
 
 そこで矢河枝比売は、詳しく父に話した。
 ここに父が言うには、
「これは天皇であられる。恐れ多いことである。わが子よ、お仕え申し上げよ」
て言って、その家を立派に飾って待っていると、翌日お入りになった。
 そこで、ご馳走を奉るときに、娘の矢河枝比売命にお酒盞を持たせて差し上げた。
 ここに天皇は、そのお酒盞を持たせたままで、御歌をお詠みになるには、
「この蟹や いづくの蟹
百伝ふ 角鹿の蟹
横去らふ いづくに到る
伊知遅島 み島に著き
みほどりの かづき息づき
しなだゆふ 佐々那美道を
すくすくと わがいませばや
木幡の道に 遇はしし嬢子
後ろでは 小楯ろかも
はなみはし 菱なす
櫟井の 和邇坂の土を
初土は 膚赤らけみ
底土は 丹黒きゆゑ
三栗の その中つ土を
頭著く 真火には当てず
眉画き こに画き垂れ
遇はしし女
かもがと わが見し子ら
かくもがと あが見し子に
うたたけだに むかひをるかも いそひをるかも」
 
 このようにご結婚になって、お生みになった御子は宇遅能和紀郎子である。
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