△古事記 中巻 帯中日子天皇(仲哀天皇)
 
〈気比の大神〉
 そこで建内宿禰命は、その太子をお連れして禊をしようとし、淡海また若狭国を経た ときに、高志前(こしのみちのくち、越前)の角鹿(つぬが)に仮宮を造って住まわせ られた。このとき、そこにお出でになる伊奢沙和気(いざさわけ)の大神命が、(宿禰 の)夜の夢に現れて、
「わしの御名を、御子の御名に替えたいと思う」
と仰せになった。
 そこで、神を祝福して申し上げるには、
「恐れ多いことである。ご神託のとおりに(御子の御名を)お替え奉る」
と申した。
 また、その神が仰せになるには、
「明日の朝、浜にお出でになるように。易名(ながへ)のお礼を献ろう」
と仰せになった。
 そこで、その翌朝(太子が)浜にお出でになったときに、鼻が傷ついた入鹿魚(いる かうを)が、既に浦一面に寄ったきた。
 そこで御子は、神に(御子のお言葉を)申し上げさせるには、
「自分に食料の魚をお与えになったのだ」
と(御子のお言葉を)申し上げさせた。
 
 そこでまた、神の御名を称えて、御食津(みけつ)大神と名づけた。  故に、今に気比(けひ)の大神と云うのである。
 また、その入鹿魚の鼻の血が臭かった。それでその浦を血浦(ちうら)と云っていた が、今は都奴賀(つぬが)と云う。
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