△古事記 中巻 帯中日子天皇(仲哀天皇)
 
〈鎮懐石〉
 さて、その政(まつりごと、遠征のこと)がまだ終えられていない頃、懐妊されてい た御子が生まれそうになられた。
 そこで出産を抑えようとされて、石を取って裳(も)の腰に巻かれ、筑紫国にお渡り になってからその御子がお生まれになった。
 そこで、その御子をお生みになった地を宇美(うみ)と名づけた。
 また、その裳に巻いた石は、筑紫国の伊斗(いと)の村にある。
 
 また、筑紫の末羅県(まつらがた)の玉島(たましま)の里にお着きになって、その 河の辺りでお食事をなされたとき、四月(うづき)の上旬(はじめのころ・つきたち)で あったので、それでその河の中の磯に座られて、裳の糸を抜きとって、飯粒を餌にして 河の年魚(あゆ)を釣られた(その河の名を小河(をがは)と云う。また磯の名を勝門 比売(かちどひめ)と云う)。
 故に、四月の上旬に女が裳の糸を抜いて、飯粒を餌にして年魚を釣ることが、今に至 るまで絶えないのである。
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