△古事記 中巻 帯中日子天皇(仲哀天皇)
 
〈新羅へ〉
 そこで、(皇后は)詳しく教え諭されたとおりにして、軍を整え船を並べて渡ってお 出かけななるときに、海原の魚どもが大小問わず全部、船を背負って渡った。
 そして追い風が盛んに吹いて、船は波のまにまに進んで行った。
 かくして船を載せた波は、新羅(しらぎ)の国に押し上がって、すっかり国の中ほど までに達した。
 
 ここに、その国主(こにきし)は恐れかしこんで申し上げるには、
「今より後は、天皇のご言葉のとおりに、御馬甘(みまかひ、馬飼い)として毎年貢物 の船を並べて、船の腹を乾かさないように、竿と舵を乾かさないように、天地の有らん 限り、怠らずにお仕え致す」
と申した。
 そこで、これによって新羅国を御馬甘とお定めになり、百済(くだら)の国を渡屯家 (わたのみやけ、海を渡った先の屯倉)とお定めになった。
 そしてその杖をもって、新羅の国主の門(かなと)につき立てられた。
 ただちに墨江大神の荒御魂(あらみたま)をもって、
「国をお守りになる神」
として鎮め祭って、ご帰還になった。
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