△古事記 中巻 大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇) 〈天翔ける白鳥〉 そこで、大和にお出での后たち、また御子たち諸々、(能煩野に)下ってきて、御陵 を作り、そこの傍にある田んぼ(那豆岐田)に這い廻って、泣きながら歌われるには、 「なづきの 田の稲がらに 稲がらに 匍匐ひ廻ろふ 野老蔓(ところづら)」 そこで(倭建命は)八尋白智鳥(やひろしろちどり、大きな白い千鳥)に化身して、 天空高く飛び、浜に向かって飛んで行った。 そこで、后たちまた御子たちは、小竹(しぬ)の苅株に足を傷つけながらも、その痛 さをも忘れて、泣きながら追って行かれた。このときの(后や御子の)御歌、 「浅小竹原 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな」 また、その海に入って、苦労して追って行かれたときに御歌、 「海が行けば 腰なづむ 大河原の 植ゑ草 海がは いさよふ」 また、(白鳥が)飛んでその磯に居られたときの御歌、 「浜つ千鳥 浜はよ行かず 磯づたふ」 この四つの歌は、皆(倭建命の)葬式のときに歌われた。そして、今に至るまでその 歌は、天皇の大御葬(おほみはふり)のときに歌うのである。 そして、(白鳥は)その国から空高く飛んで行って、河内国の志幾(しき)に留まら れた。そこで、そこに御陵を作って鎮め申し上げた。そしてその御陵を名付けて、白鳥 (しらとり)の御陵と云う。 しかしながら、またそこから更に天に舞いあがって飛んで行った。およそ、この倭建 命が国を平定するために巡って行かれたときに、久米直の祖先の、名は七拳脛(ななつ かはぎ)が、常に膳手(かしはで、料理人)としてお仕え申し上げた。 |