△古事記 中巻 大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇)
 
〈弟橘比売〉
 そこから(東の方に)お入りになって、走水(はしりみず)の海をお渡りになるとき に、その渡りの神が波を立てて、船を揺らしたので、進んで渡られなかった。
 そこで、后の、名は弟橘比売(おとたちばなひめ)の命が申し上げるには、
「私が御子に代わって、海中に入ろう。御子は、遣わされた任務を果たして、(天皇に) ご報告されるように」
と申して、(后が)海に入ろうとするときに、菅の畳を幾重にも、皮の畳を幾重にも、 絹の畳を幾重にも波の上に敷いて、その上にお下りになった。
 よってその荒波は自然に静まって、船は進み渡れた。このとき、その后が歌われるに は、
「さねさし 相模の小野に
燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
 
 そして、七日の後に、后の櫛が海辺に流れ寄った。すなわち、その櫛を拾って、御陵 を作ってその中に収め置いた。
[次へ進む]  [バック]