△古事記 中巻 大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇)
 
〈大碓命と小碓命〉
 さて、天皇は三野国造の祖先、神大根王の娘で名が兄比売(えひめ)・弟比売(おとひ め)と云う二人の乙女を、その容姿が麗しいとお聞きになって確かめて、御子の大碓命 を(娘の許に)遣わして、召し上げさせられた。
 ところが、遣わされた大碓命は、召し上げないで、そのまま自分が二人の乙女を娶っ てしまって、改めて違う女を捜し出して、乙女(兄比売・弟比売)であると偽称して奉っ た。
 けれども天皇は、それが別の女であることをお知りになって、長いことそのままに し、結婚もされないで、辛い思いをされていた。
 さて、大碓命が兄比売を娶ってお生みになった御子は、押黒之兄日子(おしぐろのえ ひこ)の王、これは三野の宇泥須和気の祖先である。
 また、弟比売を娶ってお生みになった御子は、押黒弟日子(おしぐろのおとひこ)の 王、これは牟宜都(むげつ)の君たちの祖先である。
 
 この(景行天皇の)御世に、田部(たべ、部民)を定めて、また東(あづま)の淡水 門(あはのみなと、安房の水門)を定めて、また膳(かしはで)の大伴部を定めて、ま た倭の屯倉(みやけ)を定めて、また坂手(さかて)の池を作って、そしてその堤に竹 をお植えになった。
 
 天皇は、小碓命に仰せられるには、
「どうしてなのであろう、お前の兄は朝夕のお食事に参らんのか。お前一人で行って、 教え諭せ」
と、仰せになった。
 このように仰せになって後、五日になるまでなお(兄は)参らなかった。
 そこで、天皇は小碓の命にお尋ねになるには、
「どうしてお前の兄は長いこと参らんのか。もしかして、まだ教え諭していないのか」
とお尋ねになったら、
「既に教えてある」
と申し上げた。
 また(天皇が)、
「どのように教えたのか」
と仰せになったら、申し上げるには、
「朝方に厠(かはや、便所)に入ったときに、出てくるのを待ちうけて掴んで、手足を もぎとって、薦(むしろ)に包んで投げ捨てた」
と、このように申し上げた。
[次へ進む]  [バック]