△古事記 中巻 伊玖米入日子伊沙知天皇(垂仁天皇) 〈時じくのかくの木の実〉 また、天皇は三宅連たちの祖先、名は多遅摩毛理(たぢまもり)を常世国(とこよの くに)に遣わして、登岐士玖能迦玖能木実(時じくのかくの木の実)を捜し求めさせた。 そこで、多遅摩毛理は、とうとうその国に到着して、その木の実をとって、葉のつい たままの多くの物・串刺しにした多くの物を持って(大和へ)持って来る間に、天皇は既 に崩御されていた。 そこで多遅摩毛理は、(その半分の)葉のついた実・串刺しの実を大后(おほきさき、 皇后)に献上し、(残り半分の)葉のついた実・串刺しの実を天皇の御陵の入り口に奉り 置き、その木の実を手に捧げ持って、叫び泣くには、 「常世の国の時じくのかくの木の実を持って参上致した」 と申して、ついに叫び泣いて死んでしまった。 その時じくのかくの木の実は、今の橘である。 この天皇は、御年百五十三歳である。御陵は、菅原の御立野(みたちぬ)の中にある。 また、その大后比婆須比売命のときに、石棺作りを定められ、また土師部(はにしべ) をお定めになった。 この后は、狭木寺間の陵に葬り申し上げた。 |