△古事記 中巻 伊玖米入日子伊沙知天皇(垂仁天皇)
 
〈沙本毘古の反逆〉
 この垂仁天皇が、沙本毘売を皇后とされたときに、沙本毘売命の兄(同母兄)、沙本 毘古王が妹に、
「夫(天皇)と兄(自分)と、どちらが愛しいか」
と尋ねたので、
「兄上が愛しい」
とお答えした。
 
 そこで沙本毘古王が企むには、
「お前が真に自分を愛おしく思うのなら、自分とお前とで天下を治めよう」
と言って、すぐに、鋭い、紐のついた小刀を作って妹に授けて、
「この小刀で、天皇がお眠りになっているところを刺し殺すのだ」
と言った。
 
 さて、天皇はその陰謀を知らずにいて、その后の膝を枕にしてお眠りになった。そこ で后は、紐小刀で天皇の首を刺そうとして三回も振り上げたが、哀しい心情に耐えかね て、首を刺すことは出来ず、お泣きになった涙が(天皇の)顔に落ちてこぼれた。
 この涙で天皇は驚いて目を覚ましてお起きになって、后にお尋ねになるには、
「自分は、不思議な夢を見た。沙本の方から雨が降ってきて、急に自分の顔をぬらした。 また、錦色の小さい蛇が、自分の首にまといついた。このような夢は、一体何の前兆で あろうか」
とお尋ねになった。
 
 これを聞いて后は、
「争うことは出来ない」
とお思いになって、すなわち天皇に申し上げるには、
「私の兄、沙本毘古王が私に、
『夫と兄とどちらが愛しいか』
と尋ねた。
目の前で尋ねられたので、耐えきれずに、
『兄だけが愛しい』
と答えたら、すなわち私に詰問して、
『自分とお前とで天下を治めよう。ゆえに天皇をお殺せ申せ』
と言って、鋭い紐小刀を作って、私に与えた。
 このような訳で、首をお刺ししようと思って三度も振り上げたが、何故か哀しい情が にわかに起こって、お刺すことが出来ず、泣く涙がお顔をぬらしたので、(夢は)この 前兆であろう」
と申し上げた。
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