△古事記 中巻 御真木入日子印恵天皇(崇神天皇) 〈大物主の大神〉 この天皇の御世に、疫病が沢山起こって人々が死に絶えようとした。それで、天皇が ご心配になって、神託を受ける床におられた夜に、大物主大神が夢に現れて仰せになる には、 「(この病の流行は)自分の意志によるものである。そこで、意富多多泥古(おほたた ねこ)を以って自分を祭らせるようにすれば、神の祟りも起こらず、国も平安になるで あろう」 と仰せになった。 (この神託により)早馬の急使を四方に遣わして、意富多多泥古と云う人を捜し求め るときに、河内の美努(みぬ)の村にその人を見つけて奉った。 ここに天皇は、 「お前は誰の子だ」 とお尋ねになった。 答え申すには、 「僕(あ)は、大物主大神が陶津耳(すゑつみみ)の命の娘の活玉依毘売(いくたまよ りびめ)を娶ってお生みになった子で、名は櫛御方(くしみかた)の命の子の、飯肩巣 見(いひかたすみ)の命の子の、建甕槌(たけみかづち)の命の子で、僕は意富多多泥 古である」 と申した。 ここに天皇はいたくお喜びになられて、 「天下は平和になって、人民はきっと栄えるであろう」 と仰せになって、早速意富多多泥古命を神主にして、御諸山(三輪山)の意富美和(お ほみわ)の大神をお祭りになった。 また、伊迦賀色許男(いかがしこを)の命に仰せになって、平たい祭具の土器を沢山 作らせて、天神地祇(あまつかみくにつかみ)の社を定めてお祭りになった。 また、宇陀の墨坂(すみさか)の神に赤い色の楯矛を祭り、大坂の神に黒い色の楯矛 を祭り、また坂の山すその神や河の瀬の神にも、全て漏れることなく幣帛(みてぐら) を奉った。これによって、祟りは全て止んで、国は平安になった。 |