古事記 中巻 若倭根子日子大毘毘天皇(開化天皇)
 
 若倭根子日子大毘毘の命は、春日の伊邪河(いざかは)の宮にお出でになって、天下 をお治めになった。
 この天皇が、丹波(たには)の大県主で名は由碁理(ゆごり)の娘、竹野比売(たか ぬひめ)を娶ってお生みになった御子は、比古由牟須美(ひこゆむすみ)の命である (一柱)。
 また庶母(ままはは)の伊迦賀色許売命を娶ってお生みになった御子は、御真木入日 子印恵(みまきいりひこいにゑ)の命、次に御真津比売(みまつひめ)の命である(二 柱)。
 また、丸邇(わに)の臣の祖先、日子国意祁都(ひこくにおけつ)の命の妹、意祁都 比売(おけつひめ)の命を娶ってお生みになった御子は、日子坐(ひこいます)の王 (みこ)である(一柱)。
 また、葛城の垂見(たるみ)の宿禰の娘、鷲(亶偏+鳥)比売(わしひめ)を娶って お生みになった御子は、建豊波豆羅和気(たけとよはづらわけ)の王である(一柱)。  この天皇の御子たちは、合わせて五柱である(男王四人、女王一人)。そして、御真 木入日子印恵命が天下をお治めになった。
 
 兄の比古由牟須美命の御子は、大筒木垂根(おほつつきたりね)の王、次に讃岐の垂 根(たりね)の王である(二柱)。この二柱の王の娘は五柱おられる。
 次に、日子坐王が山代の荏名津比売(えなつひめ)、亦の名を苅幡戸弁(かりばたと べ)を娶ってお生みになった御子は、大俣(おほまた)の王、次に小俣(をまた)の王、 次に志夫美(しぶみ)の宿禰の王である(三柱)。
 また(日子坐王が)春日の建国勝戸売(たけくにかつとめ)の娘で、名は沙本(さも と)の大闇見戸売(おほくらみとめ)を娶ってお生みになった御子は、沙本毘古(さほ びこ)の王、次に袁耶本(をざほ)の王、次に沙本毘売(さほびめ)の命、亦の名は佐 波遅比売(さはぢひめ)である(この沙本毘売命は、伊久米天皇(垂仁天皇)の后にな られた)。
 次に室毘古(むろびこ)の王である(四柱)。
 
 また(日子坐王が)近つ淡海の御上(みかみ)の祝(はふり)が奉る天之御影(あめ のみかげ)の神の娘、息長の水依比売(みづよりひめ)を娶ってお生みになった御子は、 丹波の比古多多須美知能宇斯(ひこたたすみちのうし)の王である、次に水穂之真若 (みづほのまわか)の王、次に神大根(かむおほね)の王、亦の名は八瓜入日子(やつ りのいりびこ)の王、次に水穂の五百依比売(いほよりひめ)、次に御井津比売(みゐ つひめ)である(五柱)。
 また(日子坐王が)その母(意祁都比売)の妹の遠祁都比売(をけつひめ)の命を娶 ってお生みになった御子は、山代大筒木真若(やましろのおほつつきのまわか)の王、 次に比古意須(ひこおす)の王、次に伊理泥(いりね)の王である(三柱)。全て日子 坐王の御子は合計十五王である。
 
 そして、兄の大俣王の御子は、曙立(あけたつ)の王、次に菟上(うなかみ)の王で ある(二柱)。この曙立王は、伊勢の品遅部(ほむぢべ)の君、伊勢の佐那(さな)の 造の祖先である。
 次に菟上王は、比売陀(ひめだ)の君の祖先である。
 次に小俣(をまた)の王は、当麻勾(たぎまのまがり)の祖先である。
 次に志夫美宿禰王は、佐々君の祖先である。
 次に、沙本毘古王は、日下部の連、甲斐国造の祖先である。
 次に、袁耶本王は、葛野(かづぬ)の別(わけ)、近つ淡海の蚊野(かぬ)の別の祖 先である。
 次に、室毘古王は、若狭耳別の祖先である。その美知能宇志王が、丹波の河上の摩須 郎女(ますのいらつめ)を娶ってお生みになった御子は、比婆須比売(ひばすひめ)の 命、次に真砥野比売(まとのひめ)の命、次に弟比売(おとひめ)の命、次に朝庭別 (みかどわけ)の王である(四柱)。この朝庭別王は、三川(みかは)の穂別の祖先で ある。この美知能宇斯王の弟、水穂の真若の王は、近つ淡海の安(やす)の直の祖先で ある。
 次に神大根王は、三野(みぬ)の国造、本巣(もとす)の国造、長幡部(ながはたべ) の連の祖先である。
 次に、山代大筒木真若王が、同母弟、伊理泥王の娘の、丹波の阿治佐波毘売(あぢさ はびめ)を娶ってお生みになった御子は、迦邇米雷(かにめいかづち)の王である。こ の王が丹波の遠津臣(とほつおみ)の娘、名は高材比売(たかきひめ)を娶ってお生み になった御子は、息長宿禰(おきながのすくね)の王である。この王が葛城の高額比売 (たかぬかひめ)を娶ってお生みになった御子は、息長帯比売(おきながたらしひめ) の命、次に虚空津比売(そらつひめ)の命、次に息長日子(おきながひこ)の王である (三柱)。この王は、吉備の品遅(ほむぢ)の君、針間の阿宗(あそ)の君の祖先であ る。
 また、息長宿禰王が河俣の稲依毘売(いなよりびめ)を娶ってお生みになった御子は、 大多牟坂(おほたむさか)の王である。これは多遅摩の国造の祖先である。
 上述した建豊波豆羅和気王は、道守(ちもり)の臣、忍海部(おしぬみべ)の造、御 名部(みなべ)の造、稲羽の忍海部(おしぬみべ)、丹波の竹野(たかぬ)の別、依網 (よさみ)の阿毘古らの祖先である。  
 この天皇は、御年は六十三歳である。御陵は、伊邪河の坂の辺りにある。
[次へ進む]  [バック]