△古事記 中巻 大倭根子日子賦斗邇天皇(孝霊天皇) 大倭根子日子賦斗邇命は、黒田(くるだ)の廬戸(いほど)の宮にお出でになって、 天下をお治めになった。 この天皇が、十市(とをち)の県主の祖先、大目(おほめ)の娘で、名は細比売(く はしひめ)の命を娶ってお生みになった御子は、大倭根子日子国玖琉(おほやまとねこ ひこくにくる)の命である(一柱)。 また、春日の千千速真若比売(ちちはやまわかひめ)を娶ってお生みになった御子は、 千千速比売(ちちはやひめ)の命である(一柱)。 また、意富夜麻登久邇阿礼比売の命を娶ってお生みになった御子は、夜麻登登母母曾 毘売(やまととももそびめ)の命、次に日子刺肩別(ひこさしかたわけ)の命、次に比 子伊佐勢理毘古(ひこいさせりびこ)の命、亦の名は大吉備津日子(おほきびつひこ) の命、次に倭飛羽矢若屋比売(やまととびはやわかやひめ)の命である(四柱)。 また、その阿礼比売命の妹の蝿伊呂杼(はへいろど)を娶ってお生みになった御子は、 日子寤間(ひこさめま)の命、次に若日子建吉備津日子(わかひこたけきびつひこ)の 命である(二柱)。 この天皇の御子たちは、合わせて八柱(男王五人、女王三人)である。そして、大倭 根子日子国玖琉命が天下をお治めになった。 大吉備津日子命と若建吉備津日子命とは、二柱は相そろって、針間(はりま)の氷河 (ひのかは)の岬に忌瓮(いはひべ、甕)を据えて、針間を道の入り口にして、吉備の 国を平定された。故に、大吉備津日子命は吉備の上道(かみつみち)の臣の祖先である。 次に若日子建吉備津日子命は、吉備の下道(しもつみち)の臣と笠臣の祖先である。 次に、日子寤間命は針間の牛鹿(うじか)の臣の祖先である。次に日子刺肩別命は、 高志の利波(となみ)の臣、豊国の国前(くにさき)の臣、五百原(いほばら)の君、 角鹿(つぬが)の海(あま)の直の祖先である。 この天皇は、御年百六歳である。御陵は、片岡の馬坂(うまさか)の辺りにある。 |