△古事記 中巻 御真津日子訶恵志泥天皇(孝昭天皇)
 
 御真津日子訶恵志泥命は、葛城の掖上(わきのかみ)の宮にお出でになって、天下を お治めになった。
 この天皇が、尾張連の祖先、奥津余曾(おきつよそ)の妹、名は余曾多本毘売(よそ たほびめ)の命を娶ってお生みになった御子は、天押帯日子(あめおしたらしひこ)の 命、次に大倭帯日子国押人(おほやまとたらしひこくらおしひと)の命である(二柱)。
 
 故に弟の帯日子国忍人命が天下をお治めになった。兄の天押帯日子の命は、春日の臣 (おみ)、大宅(おほやけ)の臣、粟田(あはた)の臣、小野(をぬ)の臣、柿本(か きのもと)の臣、壱比韋(いちひゐ)の臣、大坂の臣、阿那(あな)の臣、多紀(たき) の臣、羽栗(はぐり)の臣、知多(ちた)の臣、牟邪(むざ)の臣、都怒山(つぬやま) の臣、伊勢の飯高(いひたか)の君、壱師(いちし)の君、近つ淡海(あふみ)の国造 の祖先である。
 
 この天皇は、御年九十三歳である。御陵は、掖上の博多山の辺りにある。
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